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hikari

Author:hikari
東京・吉祥寺の「アレクサンダー・テクニーク教室FUN」で教えています。
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ブログでは、からだとこころにまつわる日々の気づきなどを綴っていきます。

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アレクサンダーと側わん(2)

週1回、30分の個人レッスンを受ける生活を1年間続けました。
それは私にとって、体を治すためではなく、
自分の体とともに楽しく生きるためのレッスンという位置づけでした。
以前に「体を治す」と思って努力を重ねた結果、
気持ちがすさんでしまったので、
一度その考えから離れようと思ったのです。

自然な立ち方・座り方、デスクワークでの体の使い方のほか、
歌が好きだったので歌うこともよく取り上げたし、
「言いにくいことを言う」なんていうテーマを選んだこともありました。
レッスンでのアクティビティは、その日の気分で決めました。
音楽であれ、ストレッチであれ、心理的な内容であれ、
どんなテーマであっても、必ずそのための体の使い方を提案してもらえるので、
習い事としては、ある意味とてもお得だったと思います。
(音楽教室とフィットネスと心理カウンセリングに同時に通うと、
とても時間とお金がかかりますからね!)

1年が過ぎる頃には気持ちも大分変わってきたし、
よく気がつく人からは「動きが軽やかになったね」と言われるようになりました。
そして、いよいよ教師養成コースに入るため、
提出する申込書に自分自身について書いていたときのことです。

「私は脊椎側わん症です」
こう書こうとして一瞬みじめな気持に襲われ、
それからハッと気がつきました。
ちがう。そうじゃない。
「私の脊椎には側わんがあります」
こう言ったほうが自分の気持ちにぴったりくる。
何より誰かに伝えるのに抵抗がない。

どうしてかというと、
「私」イコール「側わん症」ではないから。
それは私の体が持つ特徴の一部であって、私のすべてではない。
私の脊椎には側わんと呼ばれるカーブが“ある”。
何かが“ない”、つまり“欠けている”のではない。
そうか、そうだったんだ!

「君はすでに完璧なんだよ」
忘年会でジェレミーに言われた言葉がよみがえりました。
気持ちが一気に軽くなりました。

以来、自分自身に「側わん症」という言葉を使うのはやめて、
「私は脊椎に側わんがあります」という言い方をするようになりました。
なので、このシリーズの書き出しにも、そのように書きました。

プロコースで一緒にトレーニングをするクラスメートたちにも、
必要のある時には、自分から言えるようになってきました。
最初は説明するのに声が震えたものでしたが、そのうちに慣れました。

あるとき、一緒にレッスンを受けていた一人の女性が
授業の休憩時間、私にたずねてきました。
「ねえ、hikariさんの体、腰はとってもバランスがいいのに、
背中はどうして右側と左側でそんなに高さが違うの?」

自分でも意外なことに、私はその質問をとても嬉しく感じました。
それまで出会った人は、私の体が他の人と違うことに気づいても、
気を遣って正面からは話題に取り上げないことがほとんどでした。
でも彼女はきちんと私の目を見て、そして言葉を選びながら質問してくれました。

20代の頃、少しだけいたアルバイト先での小さな出来事を思い出しました。
「あの子かわいそうにね、あんなきれいな顔をしてるのに」
少し離れた場所で何人かが私の方を見ながら、声をひそめて話していました。
それが悪口ではないと頭では分かっていても、
また今こうして思い出してみると、むしろ好意的な感じすらするのですが、
その時私はなんだかとても傷ついたのです。

アレクサンダーの教室で私に質問をしてくれた女性からは、
「かわいそう」というのとは、ちょっと違う態度が感じられました。
何より嬉しかったのが、「見ないふり」をされなかったこと。
なぜって、それは私という人間の根幹にかかわることだから。
その質問からは「あなたの本質に触れますよ」という、
彼女のやさしさと責任感が伝わってきました。

今こうして当時のことを振り返ると、
ひそひそ話に傷ついた20代の頃と違って、
アレクサンダーテクニークを学び始めた時点で、
私に「話題にしても大丈夫そう」な雰囲気が備わったのかもしれません。

私が質問に答えて自分の体について説明すると、
彼女はただ自然に受け止めて、それ以上は特に何も言いませんでした。
私には、その距離感もとても嬉しいものでした。
彼女の態度は、私もいつか、こんなふうになりたいと思えるお手本でした。

続きます。
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思わぬ変化

88歳のおばと始めたアレクサンダーテクニークのレッスンを、
この度「米寿のレッスン」として記事をシリーズ化することにしました。

おばが6月中ごろに背骨の圧迫骨折をしてから、2カ月半。
この頃はすっかり良くなって、少し頑張りがきくようにもなりました。
前のように動けるようになったこと以外にも変化はあったようで、
今日はレッスンの後、自分に起きた色々な変化を語ってくれました。

まず、ひざから下の筋肉がしっかりしてきたこと。
以前はよく脚をつっていたそうなのですが、最近それがないこと。
そして、ずっと悩まされてきた夜間の尿もれも、
時を同じくしてぴたりとなくなったのだそうです。

以前は出先で鏡に映る自分の姿を見るたび、
あまりに背中が丸いので、自分にガッカリしていたそうなのですが、
この間見てみたら、そんなに嫌な感じがしなかったとのこと。
(実際、私の目から見ても、前よりシュッとして見えます)

最近、お友達に会うといつも「顔色がよくなったわね~」とほめられること。
実は私もこの間、おばの頬がピンク色なのを見て、
「あら! なんか、かわいくなった!?」と思いました(^-^)

「なんだか、これからすごくいいことがありそうな気がするわ」と言って、
おばは自分の話をしめくくりました。

年が年だけに、圧迫骨折を機に
あのまま動けなくなる可能性もあったことを考えると、
これって、本当にすごいことだと思うのです。
しかも、生活の質が前よりずっと向上しているじゃないですか!

これまでのレッスンでしてきたことは、
椅子からの立ち上がり方と歩き方の癖を見直したことでした。
脚の筋肉を鍛えるために特別なトレーニングをしたわけではなく、
首を楽にして頭が自由に動けると、からだ全体ががしなやかでいられること、
主にそれだけを伝えてきました。

私が思うに、膝下の筋肉がしっかりして、脚がつらなくなったのは、
無理のない自然なバランスで立てるようになったことで、
脚が体を支えるという本来の役割を十分に果たせるようになったこと、
そして足の関節を十分に動かせるようになったことが理由ではないかと思います。

筋肉の役割は骨を動かすことですから、
関節が本来の稼働域を取り戻すと、筋肉は使った分だけ発達します。
動きの習慣を見直して自然な動きを思い出すだけで、
わざわざトレーニングをしなくても、筋肉は普段の生活のなかで
その人に必要な分だけ鍛えることができるのです。

尿漏れが解消した理由はよく分かりませんが、
アレクサンダーテクニークをしていると、そういうことがよく起こります。
つまり、どこかが変わると、それに連動して思ってもいなかった部分が
“結果として”良くなってしまうのです。
なぜなら、体は全体としてひとつで働くシステムだから、
その変化は部分的にではなく、常に全体として起こるのです。

おばはアレクサンダーレッスンをとても楽しみにしてくれています。
私も教えるのが楽しみです。

アレクサンダーと側わん

私が初めてアレクサンダーテクニークを知ったきっかけは、
漫画家の槙村さとるさんのエッセイ『3年後のカラダ計画』(幻冬舎)でした。
昔好きだった漫画家さんの本だったので手に取りました。

そこに書かれていたのが、「アレクサンダーテクニーク」。
背骨に関することをやっているということもあり、
ピン!と直感に訴えかけてくるものがありました。

期待に胸をふくらませて、初めて参加した体験ワークショップでは、
正直言って自分のカラダに何が起きているのか、よくわかりませんでした。
それでも、その時、私は決めました。
「これを学んで、教える人になろう」、と。
まさに直感で、そこに1秒の迷いもありませんでした。

ひとつには、アレクサンダーテクニークの考え方に共感したからです。
それを私なりに表現すると、
「上手くいかないのは、努力が足りないのではく、むしろ多すぎるから」。

物やサービス、情報があふれかえっている今の時代。
“多すぎること”に、ずっとずっと疑問を持ってきました。
本当に大切なことは、もっとシンプルなはずだと思っていたので、
その考えの方向性に真実味を感じました。
(とは言え、アレクサンダーテクニークは100年ほど前に生まれたものですが)

また、アレクサンダーテクニークをやっている人たちのたたずまいというか、
存在の質に安心感を覚えたことも大きかったように思います。
そこに「静けさ」とでも呼びたい何かが感じられたのです。

私の直接的な願いは「側わん症」の進行を止めたいということでしたが、
そこに過剰な期待を抱くことはありませんでした。
身体は、良くなるものなら治したい。
けれども、本当に解決すべき問題はそこではないということも、
自分自身が一番よく分かっていました。

「側わん症」であることで私を一番苦しめていたのは、
痛みなどの身体的な面ではなく、心理的な面でした。

私はそれまで自分の体を「醜い」「みっともない」「恥ずかしい」と思い、
そんな劣等感を克服しようと、“自分の悪いところ”を探して、
片っぱしから直そうと決意をし、そのための努力をしました。
努力の甲斐あって、劣等感は多少改善しましたが、
なぜか心がどんどん狭くなっていき、そのことが私を苦しめました。
努力していないように見える人を見下し、
自分の基準に満たない人が許せなくなりました。
そして、そんな自分の心の狭さを否定するという、負のスパイラルに。

もしも、手術で体が変わったとしても。
あるいは、どこかのスゴ腕整体師が私の体を変えたとしても。
本当の問題は、それでは解決しないことをうっすらと感じていました。

アレクサンダーテクニークの個人レッスンを受け始めたばかりの頃のこと。
忘年会のパーティで初めて会ったジェレミー(Body Chance校長)に、
私は自分のことを話しました。
その時、ジェレミーは私にこんなことを言いました。
「君の心が狭くなっていったのはよくわかる。それは当然のことだ」
そして続けて言いました。「君はすでに完璧なんだよ」
この私が完璧?体にこんな欠陥があるのに?
「完璧」という言葉を素直に受け取ることができず、
理性では納得していないのに、なぜか泣けてきたのを覚えています。

心の奥底で、何かが溶け始めていました。

続きます。

脊椎側わんの話(5)

前回からの続きです。

それから私は、インターネットでリサーチを始めました。
インターネット――私が学生の頃にはなかったツールです。
そこで色々な知識を得ましたが、混乱も増しました。

ネット上には、大きく分けると2種類の意見がありました。
ひとつは、整体などを“民間療法”と呼び、存在自体を完全否定する意見。
もうひとつは、現代医療に不信感を抱き、否定する意見。
どちらの主張も理解できるけど、
どんな意見でも、異論を許さない雰囲気があるものは恐かったし、
自分の求めているものではない気がしました。

自分としては、整体などの存在は否定はしない。
だけど自分の側わんに対しては効果がなかったこと、
それまでの13年でわん曲が進行していたこと、
そしてこれからも進行する可能性が高いことを考えて、
手術を受けることを決断しました。
こう書くと、とても冷静に判断したように読めますが、
実際はもっと早くにそうすべきだったと、
激しく後悔する気持ちが渦巻いていました。

が、手術を実現することはできませんでした。
私が手術に向けて動き始めた矢先、
父が急死し、それどころではなくなってしまったのです。

家の中が落ち着くまで、何年もかかりました。
その間、私も少し冷静になりました。
もしかしたら手術をしなくても済む道があるのではないかと、
あらためて側わん症の専門医がいる複数の病院を訪ね歩きました。
最初に出会った医師は、わん曲の角度が50度を超えた患者は
問答無用で手術をしなければいけないという方針でしたが(と私は感じた)、
病院によっては、その方針は絶対ではないことを知りました。
患者が望まない場合は、強要しないというスタンスです。

その時の私は手術が絶対に嫌だと思っていたわけではありませんが、
その病院では「手術をする」「手術をしない」という
2つの選択肢を与えてもらい、安心することができました。

思い返せば中学校で保健の先生に初めて「側わん症」と指摘され、
「病院に行きなさい!」と追いかけられたときも、
逃げ回ったのは、そこに選択肢がなかったからでした。
そう、私は選択肢という、心の安全地帯がほしかったのです。

現在はその医師のいる病院で経過観察をしています。
10年ほど経ちますが、今のところ進行はストップしています。
しかしそれは今後も進行しないという保証にはならないので、
定期的に様子を見ながら、医師と相談をしていくつもりです。

ここまでが私の体験談です。
読んでくださった方、個人的でシリアスな話にお付き合いいただき、
本当にありがとうございます。

次回から、私がアレクサンダーテクニークに出会って
何を学び、考え方や体がどのように変わったていったか、
そしてアレクサンダー教師となった今、
どんなことを大切にしているかを書いて行きます。

脊椎側わんの話(4)

久しぶりに、テーマは脊椎側わんです。

前回では、ずっと見ないふりをしてきた自分の体の問題にちゃんと向き合おう、
そう決心した人生のターニングポイントまでを書きました。

方向転換の原動力となったのは、強い強い、後悔の念でした。
「悪いところがあるのに、どうして今まで直そうとしなかったんだろう」
その思いは、私を次の考えへ向かわせました。
「これからは、自分の悪いところをどんどん直していこう」
そう決心した私は、健康関連の本を読み漁りました。
自分改造計画のスタートです。

その当時、健康・美容業界では「骨盤」が注目され始めた時期でした。
私は骨盤の歪みが様々な不調に影響しているという考え方に惹かれました。
――ゆがみをただす。
なんて魅力的な響きでしょう!
“矯正”の2文字が私のとらえたのです。

さっそく、本で読んだ骨盤矯正サロンに通い始めました。
そこは胸郭から骨盤の歪みを整えるというのが大きな魅力でした。
サロンで週に1~2回施術を受けて、
家では教わった体操を毎日1時間ぐらい行いました。
脚を組まない、ほおづえをつかない、横向きに寝ないなどの
生活上の注意もかなり忠実に守りました。

手をかければかけただけ、体は応えてくれるもの。
通い始めて1年後、もしくはそれ以上たった頃でしょうか。
明らかに違っていた左右の肩の高さは整い、
左右で倍ぐらい違っていた胸郭の厚みもそろってきました。
左にねじれていた体が、正面を向けるようになりました。
開き過ぎていたと言われた骨盤の幅も狭くなって、
O脚気味の脚も改善されていました。

目に見える結果が出て、満足感がありました。
でもお金も結構かかるし、どこかで区切りをつけようと、
ある日退会を申し出たところ、こう言われました。
「あなた、やめたら元に戻るわよ」

えっ……。
強くひきとめられつつも、そのサロンはやめましたが、
その時、最後に言われた言葉が私の中に大きな疑問を残しました。

一生あの努力を続けていないと、私の体は歪んでしまうのだろうか?
健康を維持するために、自分をそれなしではいられない状態に持っていくのは、
本当の意味で健全とは言わないのでは?

答えの出ないまま、今度は近所の均整院に通い始めました。
新聞の折り込みのチラシを見たことがきっかけでした。
そこには側わん症の人の施術前後の写真が載っていて、
その背中には、背骨の形の改善を示す補助線が描かれていました。

そこにも1年以上は通ったでしょうか。
「自分改造計画」を始めてから、4年ほどが過ぎていました。
以前に比べると、体がかなり変わってきているという自覚がありました。
そこで、どのくらい背骨がまっすぐになっているか確かめようと、
13年ぶりにレントゲンを撮ってみました。

その結果は衝撃的なものでした。
ちっとも良くなっていなかったのです。
というよりも、わん曲がさらに進んでいて、
21歳で54度だった角度は、34歳で63度になっていました。
以前、病院で言われた通り、1年に1度ずつ進行していたことになります。

見た目は明らかに良くなっているのに!
足元がストーンと抜けて、奈落に落ちたような感覚でした。

続きます。
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