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Author:hikari
アレクサンダー・テクニークを教えています。からだとこころにまつわる日々の気づきなどを綴っていきます。

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脊椎側わんの話(3)

自分の体に問題が起きていると知りながら、
すぐに命に関わるような切迫したものではなかったので、
積極的に解決するでもなく、そのまま毎日を過ごしていました。

もともと体力に自信があるほうではなかったけど、
それなりに自分は健康だと思っていたので、
体に気を使うこともなく、今思えばかなり無茶な生活もしていました。

そんな私に転機が訪れたのは、30代を迎えた頃。
ある日、ビデオで撮影された自分自身の姿を見る機会があり、
そのとき、本当に、本当に、衝撃を受けました。

顔の表情、体の動き、発している声、全体のたたずまい・・・
ビデオに映る“その人”が、どうしてそのような状態になっているのか、
それを見ている自分自身が、一番よく知っていました。

現実がどうしようもないくらい客観的に見えてしまうと、
もはや後悔とか、恥ずかしさといった後ろ向きの気持ちは起こらないもので、
その時、すぐに自分がするべきことを悟りました。

――私は体を治そう。ちゃんと問題に向き合おう。

一瞬で酔いが醒めて、正気に戻ったような感覚でした。

その頃には、無茶な生活がたたって体を壊してもいました。
そこで自分の体を省みない生活から一転して、
体に良さそうなことは何でも試してみるという、健康オタクの日々が始まりました。

現実から目をそむけていた状況から、ようやく一歩踏み出したとは言え、
それまでの反動という面があったので、結局行き詰ってしまうのですが・・・

なかなか本題のアレクサンダーテクニークにたどり着きませんが、
それまでの経緯を振り返る作業に、もうすこしお付き合いください。
次回に続きます。
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脊椎側わんの話(2)

それから高校生になり、1年間の浪人生活を経て大学生になりました。
その頃の私は健康上は特に大きな問題はなく、
勉強、サークル、アルバイトに海外旅行と、
多くの友達に囲まれて、元気に忙しい毎日を過ごしていました。

また、大人になるにつれて体とともに心も成長するもので、
中学生の時にはあんなに気にしていた背の高さも、
その頃にはほとんど気にならなくなっていました。
ただ、「側わん症」であるということは、
意識の底で大きなコンプレックスとなっていました。

本来、左右均等の厚みがあるはずの胸郭が変形しているので、
後ろから見ると背中の右側が盛り上がった形になります。
そんな背中の出っ張りを隠すために、なるべく体の線が目立つ服は避け、
右側の肩甲骨が出っ張らないようにと、いつも肩を後ろに引いていました。

当時の私は自分を欠陥品だと思っていたし、
こうなったのは身長が高いのを気にして猫背になっていたからだ思って、
自分を責めていました。

そして、大学3年生の時。
健康診断の後、学内の健康管理センターというところから呼び出しがあり、
私は初めて自分の背骨のレントゲン写真を見ました。
そこには私の想像をはるかに超えて変形した背骨があったのでした。

まさか、ここまで曲がっているとは。
だから、中学の保健の先生はあんなにしつこく私に言っていたのだ。
目の前に現実を突き付けられて、
とても大変なことが自分の体に起きているのだと、
今更ながら認めないわけにはいきませんでした。

その後、大学で紹介された病院に行き、整形外科で専門医の診察を受けました。
その時の私は21歳、背骨の角度は54度。
脊椎のカーブは、ここで止まる可能性もあれば、進行する可能性もある。
ちょうどグレイゾーンにいるのだと説明を受けました。
そして、

「どうしてこんなになるまで放っておいたんだ!」
その医師は、大きな声で言いました。

それは医師としての愛情から思わず出てしまった強い態度だったと、
今では理解しています。
しかし、自分の体の「欠陥」にショックを受けていたところに、
さらにそれを放っておいたことを責められて、
当時の私はまるで往復ビンタをくらったように感じられました。

もしも中学生だったあのとき、素直に先生の言うことを聞いていたら、
コルセットで進行を止められたかもしれないのに。
取り返しのつかないことをしてしまった後悔、
怒鳴られたことの恐怖と恥ずかしさ、
そして自分自身への怒りの感情に圧倒され、
目を真っ赤に泣きはらして診察室を出ました。

後日、親を交えて話し合いが行われましたが、
昔堅気の私の父が強硬に反対したため手術には至らず、
年に一度必ず経過観察をするということになりました。

しかし、私はその約束を守りませんでした。
当時を振り返ると、怒られたことがやはり大きかったように思います。
だからといって、そんな大事なことを放っておくなんて・・・と、
今なら客観的に考えられます。

振り返ると、私には子供の頃から自分を責めるクセがあって、
問題と自分を分けて考えることができなかったのだと思います。
だから問題が起きたときに、解決するとか立ち向かうという発想に向かわなかった。
また、見た目が気になる以外には痛みもなく、
普通にしている分には生活に支障がなかったことも理由のひとつです。
もっと単純に言うと、どうしていいか分からなくて固まっていたんだと思います。

そうして月日が過ぎていき、
私が再びその医師の診察を受けたのは、それから13年後のことでした。

続きます。

脊椎側わんの話(1)

私がアレクサンダーテクニークを学ぼうと思った一番の理由は、
これが脊椎に関するワークだったからです。

私は脊椎に側わんがあります。
通常、脊椎は横から見るとゆるやかなS字のカーブを描いていますが、
それは後わんや前わんと呼ばれる、人体に備わった自然なカーブです。
それに対して、側わんとは、正面から見たときに
まっすぐであるべき背骨が右か左にカーブしている状態です。

同じ側わんがある人でもカーブの度合いは様々ですが、
私の場合はけっこう強度です。
現代医学では原因は解明されておらず、治療法はないと言われています。
思春期の女子に多く見られることも特徴です。
成長期に側わんが見つかった場合は、
進行を止めるためコルセットを着用することが一般的です。
大人の場合、軽度から中度であれば経過観察になることが多いようです。
一方、私のように強度の場合は、手術で矯正することが薦められます。
背骨が曲がっているからといって、すぐさま命に関わるようなことはありませんが、
統計的に、わん曲の度合いが大きいほど将来進行する確率が高く、
重度になると内臓が圧迫されて健康を損なう危険性があるからです。

私が初めて側わんを指摘されたのは、中学2年生のときでした。
中学校の保健の先生が私の異常に気がついて、
病院に行きなさいと強く薦めてきました。
私も自分の見た目がちょっと変だな?とは思っていましたが、
痛いところとか、自覚症状もなかったので、特に気にしていませんでした。
保健の先生はとても熱心な、いい人だったので、
校内で私を見かけるたびに「病院に行きなさい」と薦めてきました。
私が廊下を走って逃げると、先生も走ってずっと追いかけてきました。
今にして思えば、そんなに心配してくれたことは、本当にありがたいことだったけど、
当時の私はそうは思わず、頑固に拒絶し続けました。

どうしてそんなに頑なに拒絶したのかというと。
下級生にやはり何かの病気でコルセットをつけている子がいて、
その子がいつも動きにくそうに、暑苦しそうにしていて、
自分もああなるのか・・・と思うと嫌だったから。

何よりも、そんなものをつけていたら目立ってしまうじゃないか、
というのが本当の気持ちでした。
目立ったら最後、不良どもの格好のいじめの餌食。
背が高い、やせている、頭が悪い、性格が暗いと、散々攻撃された小学校時代。
そのいじめ地獄からやっと少し抜け出したのに。
またあんな毎日に戻るくらいなら、死んだ方がマシ。

普通にしてないと攻撃される・・・
思春期の私は、本気でそう思っていました。

結局、保健の先生は私の説得をあきらめ、
私が病院に行くことはありませんでした。

次回に続きます。

私がアレクサンダーテクニークを学ぶ理由

「こんにちは。はじめまして、hikariです。
私はアレクサンダーテクニークというボディワークを教えています。」

この頃、このように自己紹介をする機会が少しずつ増えてきました。
すると、多くの場合、このように質問されます。

「アレクサンダーテクニークとは、なんですか?」

この質問にすっきりと答えるのはいまだに難しいのですが、
質問してくれた方の興味や関心に沿って、
私なりの説明をすることができるようになりました。

そうすると、次に、たいていこのように質問されます。

「どうしてhikariさんはアレクサンダーテクニークを学ぼうと思ったのですか?」

この質問に対しては、「自分自身の体の問題を解決したくて」とか、
いくぶん抽象的な模範解答を用意して答えていました。
もちろん、それはそれでいいと思うんです。
特に初対面の場では、あんまり深い答えは求められていないと思うから。

でも、このブログではちゃんと言葉にして説明してみよう。
どうして私がアレクサンダーテクニークを学ぼうと思ったのか。
そこは自分自身の根幹に関わる部分で、
私がアレクサンダー教師として一番大切にしているメッセージがあるのです。

というわけで、これからしばらくシリーズで書いてみたいと思います。
今日は宣言だけしてみました。

不便も良いね

小腹がすいたので、御茶ノ水駅前の寿司屋に入った。
カウンターと椅子が5つ6つあるだけの昭和なお店で、
おじいさんが1人で切り盛りしている。

椅子に座ると、背中がぴったり壁につくという狭さ。
後ろには人ひとり通るすき間がないので、
奥の人が出入りするたびに、手前の人は一度席を立たないといけない。

私は一番手前に座っていたので、たびたび席を立つハメに。

すみませんね、とひと声かけられ、いえいえ、と会釈を返す。
大きなカバンがつっかえて、やっとこさお店を出た男性を見送ると、
今度は入れ違いに体格のいい学生さんがやってきた。
奥に通してあげようと、私と隣のおじさんが2人して席を立つと
「ボク体が大きいんで、迷惑かけます」と首をすくめる学生さん。

迷惑だなんて思ってないよ、と心の中でつぶやく私。
それに、こういう不便は結構好きだな。
迷惑をかけあうと、そこにつながりが生まれるし、
つながりが生まれると、空間全体が生き生きしてくるから。

おじいさんが握ってくれたお寿司は美味しかった。
そして、こんな味わい深い寿司屋のカウンターで
サクッと寿司を食べて帰る自分は随分大人になったもんだと感慨深い。
昔はマクドナルドに一人で入るのだって、ドキドキしたものだったけど。
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