プロフィール

hikari

Author:hikari
東京・吉祥寺でアレクサンダー・テクニークを教えています。からだとこころにまつわる日々の気づきなどを綴っていきます。

最新記事
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ

脊椎側わんの話(5)

前回からの続きです。

それから私は、インターネットでリサーチを始めました。
インターネット――私が学生の頃にはなかったツールです。
そこで色々な知識を得ましたが、混乱も増しました。

ネット上には、大きく分けると2種類の意見がありました。
ひとつは、整体などを“民間療法”と呼び、存在自体を完全否定する意見。
もうひとつは、現代医療に不信感を抱き、否定する意見。
どちらの主張も理解できるけど、
どんな意見でも、異論を許さない雰囲気があるものは恐かったし、
自分の求めているものではない気がしました。

自分としては、整体などの存在は否定はしない。
だけど自分の側わんに対しては効果がなかったこと、
それまでの13年でわん曲が進行していたこと、
そしてこれからも進行する可能性が高いことを考えて、
手術を受けることを決断しました。
こう書くと、とても冷静に判断したように読めますが、
実際はもっと早くにそうすべきだったと、
激しく後悔する気持ちが渦巻いていました。

が、手術を実現することはできませんでした。
私が手術に向けて動き始めた矢先、
父が急死し、それどころではなくなってしまったのです。

家の中が落ち着くまで、何年もかかりました。
その間、私も少し冷静になりました。
もしかしたら手術をしなくても済む道があるのではないかと、
あらためて側わん症の専門医がいる複数の病院を訪ね歩きました。
最初に出会った医師は、わん曲の角度が50度を超えた患者は
問答無用で手術をしなければいけないという方針でしたが(と私は感じた)、
病院によっては、その方針は絶対ではないことを知りました。
患者が望まない場合は、強要しないというスタンスです。

その時の私は手術が絶対に嫌だと思っていたわけではありませんが、
その病院では「手術をする」「手術をしない」という
2つの選択肢を与えてもらい、安心することができました。

思い返せば中学校で保健の先生に初めて「側わん症」と指摘され、
「病院に行きなさい!」と追いかけられたときも、
逃げ回ったのは、そこに選択肢がなかったからでした。
そう、私は選択肢という、心の安全地帯がほしかったのです。

現在はその医師のいる病院で経過観察をしています。
10年ほど経ちますが、今のところ進行はストップしています。
しかしそれは今後も進行しないという保証にはならないので、
定期的に様子を見ながら、医師と相談をしていくつもりです。

ここまでが私の体験談です。
読んでくださった方、個人的でシリアスな話にお付き合いいただき、
本当にありがとうございます。

次回から、私がアレクサンダーテクニークに出会って
何を学び、考え方や体がどのように変わったていったか、
そしてアレクサンダー教師となった今、
どんなことを大切にしているかを書いて行きます。
スポンサーサイト

脊椎側わんの話(4)

久しぶりに、テーマは脊椎側わんです。

前回では、ずっと見ないふりをしてきた自分の体の問題にちゃんと向き合おう、
そう決心した人生のターニングポイントまでを書きました。

方向転換の原動力となったのは、強い強い、後悔の念でした。
「悪いところがあるのに、どうして今まで直そうとしなかったんだろう」
その思いは、私を次の考えへ向かわせました。
「これからは、自分の悪いところをどんどん直していこう」
そう決心した私は、健康関連の本を読み漁りました。
自分改造計画のスタートです。

その当時、健康・美容業界では「骨盤」が注目され始めた時期でした。
私は骨盤の歪みが様々な不調に影響しているという考え方に惹かれました。
――ゆがみをただす。
なんて魅力的な響きでしょう!
“矯正”の2文字が私のとらえたのです。

さっそく、本で読んだ骨盤矯正サロンに通い始めました。
そこは胸郭から骨盤の歪みを整えるというのが大きな魅力でした。
サロンで週に1~2回施術を受けて、
家では教わった体操を毎日1時間ぐらい行いました。
脚を組まない、ほおづえをつかない、横向きに寝ないなどの
生活上の注意もかなり忠実に守りました。

手をかければかけただけ、体は応えてくれるもの。
通い始めて1年後、もしくはそれ以上たった頃でしょうか。
明らかに違っていた左右の肩の高さは整い、
左右で倍ぐらい違っていた胸郭の厚みもそろってきました。
左にねじれていた体が、正面を向けるようになりました。
開き過ぎていたと言われた骨盤の幅も狭くなって、
O脚気味の脚も改善されていました。

目に見える結果が出て、満足感がありました。
でもお金も結構かかるし、どこかで区切りをつけようと、
ある日退会を申し出たところ、こう言われました。
「あなた、やめたら元に戻るわよ」

えっ……。
強くひきとめられつつも、そのサロンはやめましたが、
その時、最後に言われた言葉が私の中に大きな疑問を残しました。

一生あの努力を続けていないと、私の体は歪んでしまうのだろうか?
健康を維持するために、自分をそれなしではいられない状態に持っていくのは、
本当の意味で健全とは言わないのでは?

答えの出ないまま、今度は近所の均整院に通い始めました。
新聞の折り込みのチラシを見たことがきっかけでした。
そこには側わん症の人の施術前後の写真が載っていて、
その背中には、背骨の形の改善を示す補助線が描かれていました。

そこにも1年以上は通ったでしょうか。
「自分改造計画」を始めてから、4年ほどが過ぎていました。
以前に比べると、体がかなり変わってきているという自覚がありました。
そこで、どのくらい背骨がまっすぐになっているか確かめようと、
13年ぶりにレントゲンを撮ってみました。

その結果は衝撃的なものでした。
ちっとも良くなっていなかったのです。
というよりも、わん曲がさらに進んでいて、
21歳で54度だった角度は、34歳で63度になっていました。
以前、病院で言われた通り、1年に1度ずつ進行していたことになります。

見た目は明らかに良くなっているのに!
足元がストーンと抜けて、奈落に落ちたような感覚でした。

続きます。

脊椎側わんの話(3)

自分の体に問題が起きていると知りながら、
すぐさま命に関わるような切迫したものではなかったので、
積極的に解決するでもなく、そのまま毎日を過ごしていました。

もともと体力に自信があるほうではなかったけど、
それなりに自分は健康だと思っていたので、
体に気を使うこともなく、今思えばかなり無茶な生活もしていました。

そんな私に転機が訪れたのは、30代を迎えた頃。
ある日、ビデオで撮影された自分自身の姿を見る機会があり、
そのとき、本当に、本当に、衝撃を受けました。

顔の表情、体の動き、発している声、全体のたたずまい・・・
ビデオに映る“その人”が、どうしてそのようなあり方になっているのか。
その理由は、自分自身が一番よく知っていました。

現実がどうしようもないくらい客観的に見えてしまうと、
もはや後悔とか、恥ずかしさといった後ろ向きの気持ちは起こらないもので、
私は一瞬で自分がするべきことを悟りました。

――私は体を治そう。ちゃんと問題に向き合おう。

その頃には、無茶な生活がたたって体を壊してもいました。
そこから一転、自分の体をほとんど省みない生活から、
体に良さそうなことは何でも試してみるという、
健康オタクの日々が始まりました。

現実から目をそむけていた状況から、ようやく一歩踏み出したとは言え、
それまでの反動から起こした行動は、結局行き詰ってしまうのですが・・・

なかなか本題のアレクサンダーテクニークにたどり着きませんが、
それまでの経緯を振り返る作業に、もうすこしお付き合いください。
次回に続きます。

脊椎側わんの話(2)

それから高校生になり、1年間の浪人生活を経て大学生になりました。
その頃の私は健康上は特に大きな問題はなく、
勉強、サークル、アルバイトに海外旅行と、
多くの友達に囲まれて、元気に忙しい毎日を過ごしていました。

また、大人になるにつれて体とともに心も成長するもので、
中学生の時にはあんなに気にしていた背の高さも、
その頃にはほとんど気にならなくなっていました。
ただ、「側わん症」であるということは、
意識の底で大きなコンプレックスとなっていました。

本来、左右均等の厚みがあるはずの胸郭が変形しているので、
後ろから見ると背中の右側が盛り上がった形になります。
そんな背中の出っ張りを隠すために、なるべく体の線が目立つ服は避け、
右側の肩甲骨が出っ張らないようにと、いつも肩を後ろに引いていました。

当時の私は自分を欠陥品だと思っていたし、
こうなったのは身長が高いのを気にして猫背になっていたからだ思って、
自分を責めていました。

そして、大学3年生の時。
健康診断の後、学内の健康管理センターというところから呼び出しがあり、
私は初めて自分の背骨のレントゲン写真を見ました。
そこには私の想像をはるかに超えて変形した背骨があったのでした。

まさか、ここまで曲がっているとは。
だから、中学の保健の先生はあんなにしつこく私に言っていたのだ。
目の前に現実を突き付けられて、
とても大変なことが自分の体に起きているのだと、
今更ながら認めないわけにはいきませんでした。

その後、大学で紹介された病院に行き、整形外科で専門医の診察を受けました。
その時の私は21歳、背骨の角度は54度。
脊椎のカーブは、ここで止まる可能性もあれば、進行する可能性もある。
ちょうどグレイゾーンにいるのだと説明を受けました。
そして、

「どうしてこんなになるまで放っておいたんだ!」
その医師は、大きな声で言いました。

それは医師としての愛情から思わず出てしまった強い態度だったと、
今では理解しています。
しかし、自分の体の「欠陥」にショックを受けていたところに、
さらにそれを放っておいたことを責められて、
当時の私はまるで往復ビンタをくらったように感じられました。

もしも中学生だったあのとき、素直に先生の言うことを聞いていたら、
コルセットで進行を止められたかもしれないのに。
取り返しのつかないことをしてしまった後悔、
怒鳴られたことの恐怖と恥ずかしさ、
そして自分自身への怒りの感情に圧倒され、
目を真っ赤に泣きはらして診察室を出ました。

後日、親を交えて話し合いが行われましたが、
昔堅気の私の父が強硬に反対したため手術には至らず、
年に一度必ず経過観察をするということになりました。

しかし、私はその約束を守りませんでした。
当時を振り返ると、怒られたことがやはり大きかったように思います。
だからといって、そんな大事なことを放っておくなんて・・・と、
今なら客観的に考えられます。

振り返ると、私には子供の頃から自分を責めるクセがあって、
問題と自分を分けて考えることができなかったのだと思います。
だから問題が起きたときに、解決するとか立ち向かうという発想に向かわなかった。
また、見た目が気になる以外には痛みもなく、
普通にしている分には生活に支障がなかったことも理由のひとつです。
もっと単純に言うと、どうしていいか分からなくて固まっていたんだと思います。

そうして月日が過ぎていき、
私が再びその医師の診察を受けたのは、それから13年後のことでした。

続きます。

脊椎側わんの話(1)

私がアレクサンダーテクニークを学ぼうと思った一番の理由は、
これが脊椎に関するワークだったからです。

私は脊椎に側わんがあります。
通常、脊椎は横から見るとゆるやかなS字のカーブを描いていますが、
それは後わんや前わんと呼ばれる、人体に備わった自然なカーブです。
それに対して、側わんとは、正面から見たときに
まっすぐであるべき背骨が右か左にカーブしている状態です。

同じ側わんがある人でもカーブの度合いは様々ですが、
私の場合はけっこう強度です。
現代医学では原因は解明されておらず、治療法はないと言われています。
思春期の女子に多く見られることも特徴です。
成長期に側わんが見つかった場合は、
進行を止めるためコルセットを着用することが一般的です。
大人の場合、軽度から中度であれば経過観察になることが多いようです。
一方、私のように強度の場合は、手術で矯正することが薦められます。
背骨が曲がっているからといって、すぐさま命に関わるようなことはありませんが、
統計的に、わん曲の度合いが大きいほど将来進行する確率が高く、
重度になると内臓が圧迫されて健康を損なう危険性があるからです。

私が初めて側わんを指摘されたのは、中学2年生のときでした。
中学校の保健の先生が私の異常に気がついて、
病院に行きなさいと強く薦めてきました。
私も自分の見た目がちょっと変だな?とは思っていましたが、
痛いところとか、自覚症状もなかったので、特に気にしていませんでした。
保健の先生はとても熱心な、いい人だったので、
校内で私を見かけるたびに「病院に行きなさい」と薦めてきました。
私が廊下を走って逃げると、先生も走ってずっと追いかけてきました。
今にして思えば、そんなに心配してくれたことは、本当にありがたいことだったけど、
当時の私はそうは思わず、頑固に拒絶し続けました。

どうしてそんなに頑なに拒絶したのかというと。
下級生にやはり何かの病気でコルセットをつけている子がいて、
その子がいつも動きにくそうに、暑苦しそうにしていて、
自分もああなるのか・・・と思うと嫌だったから。

何よりも、そんなものをつけていたら目立ってしまうじゃないか、
というのが本当の気持ちでした。
目立ったら最後、不良どもの格好のいじめの餌食。
背が高い、やせている、頭が悪い、性格が暗いと、散々攻撃された小学校時代。
そのいじめ地獄からやっと少し抜け出したのに。
またあんな毎日に戻るくらいなら、死んだ方がマシ。

普通にしてないと攻撃される・・・
思春期の私は、本気でそう思っていました。

結局、保健の先生は私の説得をあきらめ、
私が病院に行くことはありませんでした。

次回に続きます。
検索フォーム
QRコード
QR