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Author:hikari
アレクサンダー・テクニークを教えています。からだとこころにまつわる日々の気づきなどを綴っていきます。

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気づいて、そして何をする?

先日の授業でティーチングのアクティビティをした。

「自分に気づき続ける」をテーマに
実験してみたら、なんかボロボロだった・・・

結局、気づいているだけじゃだめで
「気づいて、そして、自分にどんな指示を出すか」が
必要だったってこと。

ただ気づきをキープしているだけだと、
いわゆる「感じようとしている」状態になってしまい、
動きが止まっていたみたい。

そりゃーそうだよね!

(・・・がくっ。)

あとでケンさんに質問したら、
グレッグが「気づくことが1番で、方向性を出すのは2番」って
言っていたときの「気づいている」とは、
方向性を出すこととほとんど同義だそう。

それなら、私チョー誤解していました。

そのほかにも問題が山積みで、
第3段階への道は、なかなか道は遠いです。
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馴染みの深い動き

前回の記事を書いてから、
ずうっと「気づくこと」について考え、
自分の動きを観察し続けた私。

まさに「おはよう」から「お休み」まで
暮らしを見つめるアレクサンダーテクニーク。

何日か前、仕事が終わって帰る道すがら、
そのことについて考え始めたその瞬間・・・

ハッと、自分がある動きをしたことに気がついた。

――頭がちょっと下を向いて、目に力を入れて空を見つめる。

それは自分にとって馴染みの深い動き。

何かの答えを探しに行くとき、
私はいつも、その動きをする。

そして、レッスンで「そのモード」に入ると、
いつもいつも、止められる。
やめると、「そう、それそれ」と言われる。

でも、「そう、それそれ」と言われても・・・

「何も考えていない」ようなその状態が
正しいとはとても思えなかったし、
あまりのつかみどころのなさに
ぽかーんとするほかなかった。

そうか、私、いつもこれをしてたんだ・・・

実はブログ書いている今この瞬間も、
ややもすると、してしまう。

これをやめてみたらどうなるのかな?
さあ、実験だ!

「気づき」について考えたこと

前回書いた「自分自身に気づいていること」について
書いた後で、もやもや~とした気持ちがわいてきた。

書いたことは思った通り表現できているんだけど、
何かが途中ですり替わってしまっている気がする。
そしてそれこそが、
今ちょうどひっかかっていることのような。

以下、つらつらと考えたことを書いてみると・・・


感覚自体は、気づこうとしなくても勝手にやってくる。

経験を積むと感覚が研ぎ澄まされてくるけど、
それは感じたことを受け取るためではないのでは。

感覚は、過去の動きの結果。
動きこそが、今この瞬間起きていること。

自分が無意識にしていることに気づかせてくれるのは、
“痛い”とか“気持ちいい”とかの「感覚」ではなくて
なにかの刺激に対して反応している
今この瞬間の自分の「動き」に気づいたとき。

だから必要なのは、
自分自身の反応、動きに注意を向け続けること。
必要なのは、感覚ではなくて意識のトレーニング。

ということは。
私の中では「感覚」と「意識」がごっちゃになっているから、
いつも動きながら「感じに行こう」としちゃう・・・のかな?

ふむ・・・
今日はここまで。

自分自身に気づくこと

アレクサンダーテクニークのレッスンでは、
自分自身がしている動きに気がつくことがとても大切。

今日、1年目のクラスメートとおしゃべりしていて、
「そんなにいつも自分に気づいていなきゃいけないなんて、
めんどうくさくならないですか?」
というような話になった。

そうそう、私もずっとそう思っていたなあ。
でも、今ではそんなに大変と思っていないし、
むしろ気づくのが楽しくて仕方ない。
何か刺激が来たり、あわてていたりすると、
すぐに注意が持っていかれてしまうけど、
後から思い出したりすることもある。

自分に気づけるようになるって、どういうことだろう。

以前、知り合いが
「カラーコーディネーターの資格試験の勉強をしていたときに、
すごく微妙な色の違いが見分けられるようになった」
って言っていたことがあったけど、
それとちょっと似ているかも。

「青」と「藍」の違いが分かるのと同じように、
トレーニングを続けていると知覚が発達してきて、
自分が体のどこに、どのくらい力を入れているのか、
日常の中で無理なく自然に気づけるようになる。

目に風景が、耳に音が入ってくるのと同じように、
筋感覚も自然に向こうからやってくる。

でも、考え事をしていたり、
人から見られるなどの強い刺激が来たりすると
それに注意を持っていかれるから
すでに見えているものが見えなくなるということが起きる。

自分のやりたいことをしながら、
同時に自分自身に気づき続けるなんて、不可能!
特に急いでいたりなんかするときは。

・・・って私もずっと思っていたんだけど、
今は「経験を積めばできるようになる」って思う。

だって、生まれてから今までに身につけた能力って、
「~しながら~すること」の連続なんじゃないかな。
もうすでにできているから
複数のことを同時にやっているって思わないだけで。

たとえば、私は今パソコンのキーボードを使って
文章を書いているけど、
学生のときに初めてワープロを使った時は
「こんなの絶対無理!」って思ったもん。

まず書きたいことを考えて、
その言葉を頭の中でローマ字に分解してから、
キーボードの中から正しいキーを選んで叩いて、
画面にひらがなを表示させたら、
そのいくつかを漢字変換して、
(しかも誤変換に気をつけて)
やっと確定して一文が完成!

ふう。
アルファベットとひらがなと漢字を使い分けている
日本人って、つくづく偉大。

そして、そんな複雑なことを
今やものすごいスピードでこなしながら、
同時に「今何時だろう?」とか
「ちょっと寒いな」とか
考えることができるんだから、
あらためて人間ってすごいと思う。

経験を積んだから、できるようになったんだよね。
そのために、毎日ちょっとずつでも
気づきの時間をもつようにする。

授業で誰かがしている
微妙な動きが見えないことが何度もあって
(正確に言うと見えてはいるけど、分析できない)
「まだまだだなあ」って落ち込んだりするけど、
つらつらと書いてたら頭が整理されて、
なんか、大丈夫な気がしてきた!

まず自分が楽でいる

先月から1年ぶりにブログを再開して、
「さあ、たくさん書くぞ!」って思っていたのに、
ちっとも更新できていない・・・
書きたいことはたくさんあるし、
生活リズムも落ち着いているから、
書く時間もちゃんとあるのに。

なぜできないかというと、
なんか、すごーく疲れているのです。
多分、前の仕事がかなり忙しかったから、
その反動が出ているんだと思う。

週末ごとに朝から授業に出るのが体力的にキツくて、
ちょっとお休みしたいなあ・・・と思いつつ、
「早く教師の資格取りたい」っていう気持ちがあって、
お休みできない。でも休みたい。

・・・てなことを、
この数日ぐるぐると思いめぐらせているうちに、
ハタと気がついた。

そもそも、なんでアレクサンダーテクニークを
勉強しようかと思ったかと言うと、
ラクになりたかったからだったんだよね・・・
なのに、なんで今、自分を追い詰めているんだろう。

むむむ。
やっぱり色々焦っているんだなあ。

勉強の目的も、
そもそもは自分のためだったのに、
いつのまにか、
「人の役に立ちたい」とか、
「感謝されたい」とか、
「早くお金を稼げるようになりたい」とか、
そういう気持ちに傾いていった。

それだってウソじゃないけど、
教えるのは自分が楽になった後だって、
いっちばん最初は思ってたはずなんだ。

初めて学び始めて、かれこれ丸5年たつから、
ずいぶんと自分のために使えるようになって、
当初に比べたらずいぶん楽になった。
でも教える練習をしていると、
いつも自分への気づきをなくして、頑張りすぎちゃう。
それが今の私の傾向。

それでうまくいかなくて悩んでたんだけど、
今あらためて気づいたことは・・・
まず自分が楽でいることを最初に考えるのが
このテクニークにおいては大切だったんだってこと。
人に教えるときは、なおさらのこと。

だからよりよく学びたいと思ったら、
授業を休むっていう選択もありなんだ。
一見矛盾しているようだけど、
焦る気持ちを手放したら、常識的な判断だわね。
だって、疲れている時は休まなきゃ。

これが「エンドゲイニング」と
「ミーンズウェアバイ」っていうことかな。

ふう、またちょっとだけ進歩。
そしてブログの更新ものんびりいこう。
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