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Author:hikari
アレクサンダー・テクニークを教えています。からだとこころにまつわる日々の気づきなどを綴っていきます。

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Merry Christmas!

131224_1902~01

メリークリスマス!

今月に入ってから、職場のマイデスクの一角に
ちいさならくがきを寄せ集めて、
クリスマス曼荼羅を制作してました。

左にいるのは「サンタコロース」。
(絵を描いたら、名前が降りてきました・・・)
聖歌隊キャッツと一緒に歌っているのは、
ジョン・レノンの「Happy Xmas(War is over)」です。

これからもずっと平和でありますように。
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ボーリング

この間、ボーリングをする機会があった。
ボーリングをしたのは、たぶん4年ぶりぐらい。
私は球技全般がとっても苦手なので、
学生時代はスコアが100に届いたことがなかった。

ところがですよ。
アレクサンダーテクニークで学んだ
動きの原理に基づいてボールを転がしてみたら、
いきなりストライク連発じゃないですか!

あら~、私ってこんなに上手だったかしら!
もう、自分でもびっくり。

調子が良かったので、
途中で一回り大きいボールを使ってみることにした。
そしたら穴のサイズが指の太さと合っていなかったらしく、
投げようとして腕を後ろに振ったときに、
そのままボールがゴトンと落ちてしまった。

それで元のボールに戻したんだけど、
「さあ投げるぞ」と腕を後ろに振った瞬間に、
さっきの失敗のイメージが頭に浮かんで、
カラダに余計な力が入ってしまうのが自分で分かった。
でも、どうしたらやめられるのか分からない。
その後は結局、最初の絶好調を取り戻すことができなかった。

カラダの動きとココロの動きが
とても密接に関係しあっているってことが
本当によく実感できる出来事だった。

それにしても、人間の記憶力ってすごい。
失敗をしっかり記憶して、反応してくれるから。

そんな自分の反応から自由になろうとするのが、
アレクサンダーテクニークの深いところだと思う。

成功も失敗も全部ひっくるめて、
ボーリングはとっても面白かった。

ちょっと待ってみる

先日の職場での出来事をきっかけに、
生徒とどうやって一緒にいればいいのか、
カラダで分かったような気がした。

それから数日たった土曜日、
クラスでティーチング・レッスンをした。
たぶん、今までで一番落ち着いてできた思う。

それまでの自分との違いを一番感じたのは、
相手に「何かしてあげよう」と思わなかったこと。

「してあげたい」を手放したら、
どうしたらいいか分からなくなったとき、
自分自身に時間をあげて、
“ちょっと待ってみる”ができるようになった。

必死になって答えを探すことをやめたら
自分がすでに知っていることに
目を向けることができた。
それがアイデアになって口からでてきた。

新しい動きを通じて、
生徒は自分で何かを発見したようだった。
いいレッスンだったと思う。

分からないという刺激に対して、
すぐに反応しないで、
ちょっと待ってみる。

それが私にとって、とても新しかった。
そしてアレクサンダーテクニークの
大切なポイントを学ぶことができたと思う。

リーディングエッジとカラダ全体

何週間か前に、ゴムチューブを使った
体幹エクササイズのアクティビティをした。

床に両脚を伸ばして座る。
チューブの両端を両手に持って、
中央部分は足裏にひっかける。
外側に曲げた肘を肩の高さまで持ち上げて、
肘を外に引きつつゴムを引っ張る、という動き。

自分でやっているときは上腕が痛くなるばかりで、
そのエクササイズが体幹にきいていることが
少しも分からなかったんだけど、
リーディングエッジ(動きの先端)と
動きの方向性をかなり意識的に思い続けて動いたら、
あら不思議、腕が痛くならないし、
なぜこの動きが体幹にきくのかが、すごくよく分かった。

リーディングエッジ、すげえ。

それ以来、自分の動きの先端について
今まで以上に意識するようになった。

例えば、机の上のコーヒーカップを取るとき、
リーディングエッジは指先。
指先がコーヒーカップに近づいて行くように
思って手を伸ばす。
そして指先に続く手のひら、前腕、上腕、肩甲骨、鎖骨は
その動きにただついていく。

そしてコーヒーを飲むときは、
手に持ったカップがリーディングエッジになって、
カップが口に近づいてくる。

動きの先端を思ってていねいに動くことで、
上腕や肩に必要以上の力を入れてしまったり、
そのために痛みを生じさせることを防ぐことができる。

こういう動き方に慣れていないと、
動いている本人は物足りないような気がするけど、
はたから見ていると、本当にエレガント。
指先まで神経が行き届いて、
かつ気持ちに余裕があるように見えるので、
おためしあれ。

さて、そうやって日々リーディングエッジを意識して
過ごしているうちに、この頃考えるようになったのは、
「どこまでが自分か」ってこと。

今この瞬間にPCのキーボードを叩いている指先、
床に触れている坐骨、
その地続きの反対側にある頭頂部、
指先、足裏から頭のてっぺん、
ここからここまでが、全部「自分」で、
そう思うと、私って大きい。

この「大きい」は、背が高いとか低いとか、
ほかの誰かと比べた時の「大きい」ではなくて
「これが私本来の大きさなんだ」って思える
絶対的なもの。とても満ち足りた感じ。

Yes、これが私。

「カラダ全体」ってことが分かって、
なんだか楽しい気持ち♪

ある日の出来事

この間職場で、近くの席の人が
パソコンの操作に失敗してしまったらしく、
「うわ~、どうしよう、大変!」と言いながら
データをもとの状態に戻す作業をしていた。

うまくいかずに困っている様子が伝わってきたので、
「大丈夫ですか? どんな状態なんですか?
もしかしたら、お手伝いできるかもしれないので」
と、思い切って声をかけてみた。

「これこれ、こうで・・・」
「ああ、なるほど、これは大変!
でも、こうしたらうまくいくかも・・・あ、ダメだった。
じゃあ、こうしたら?・・・うーん、これも違った」

私は自分から声をかけた割に、
なんかあんまり役に立ってないので
申し訳ない気持ちになってシュンとしてたら
「いいのいいの、おかげでちょっと分かってきたから。
ありがとね!」と、その人は明るく答えて、
最終的に別の人に聞いてトラブルを解決した。

それだけのありふれた出来事だったんだけど、
後になって、

――ああ、これでいいんだな・・・

っていう気づきのようなものが訪れた。

なんのことかというと、
私はアレクサンダー教師になるために
この1年あまり教える練習をしてきたんだけど、
この頃、どうやって生徒と一緒にいればいいのか
分からなくなってしまっていた。

今回、私はその人に声をかけたとき、
どうやってその人と一緒にいればいいのか、とか
悩まずに、ただ一緒にいた。

私はそれができたし、
いつもそれをやっていた。
特別なことは必要ないんだ、
私はこのままでいいんだって・・・
それが、カラダでわかった感じ。

この感覚、言葉にすると消えてしまいそう。
でも、出来事は覚えていたいから書いておく。

ターナー展に行ってきました

最近美術館に行っていないなあと思って、
仕事の後に東京都美術館で開催されている
ターナー展に行ってきました。

ターナーは18世紀後半から19世紀中ごろにかけて
活躍した英国最高の風景画家だそうです。

画家になりたての頃の絵を見ていると、
この人は絵を描くのが好きで好きで
たまらなかったんだろうなーというのが、
ものすごい正確さで、細部をたんねんに描きこむ
タッチから伝わってきました。

そして年をとるにつれて
作風が抽象的な感じに変わっていって、
若い頃は建築物とか自然風景といった
目に見える「もののかたち」に美を感じていたのが、
晩年には「エネルギー」のような、
目に見えないなにかを表現しようとしているように
思えました。

風景画が見せてくれる視野はとても広くて、
大地から空までがいっぺんに見渡せます。
つまり、画家の視界がなにか特定のものだけに
フォーカスしていないことが分かります。

不思議なことに、絵の前に立っていると、
それを見ている私の心と体に、
「今ここにいる」という感覚が立ち上ってきます。

ああ、この目の使い方は知っている、
きれいな景色を前にしたときは、
私もこんな風に見ているってことを
名画を前にカラダが思い出してくれました。
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