プロフィール

hikari

Author:hikari
アレクサンダー・テクニークを教えています。からだとこころにまつわる日々の気づきなどを綴っていきます。

最新記事
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ

いよいよ次のステップへ

ひと月ほど前のこと。
「早くアセスメント受けなきゃ」という思いから、
授業でも積極的に練習したり、追加レッスンを受けたりしていた。
そして8月に入り、そろそろアセスメントを受けてもいいかどうかを、
いつも私のレッスンを見てくれている紀美子さんに聞いたら
「もう一息だと思います」と言われて、若干ショック・・・
と同時に、自分でもそう思っていたから、
はっきり言ってもらって安心もした。

「一度ジェレミーのクラスでティーチングしてみて、
意見を聞いてごらんなさい」、と言われたので、
それから3週間後の昨日、ジェレミーに見てもらったら、
意外とあっさりOKをもらうことができた。

なんかあっさりしすぎていたので、
「でも3週間前、紀美子さんがもう一息だって言ったんだけど…」
と私が食い下がると、ジェレミーが
「もう3週間たったから、いいんじゃない?」と。

3週間。
ティーチングに関してはこの2年間伸び悩んできたので、
自分としては3週間というのは短いような気がするんだけど、
変化するには十分な時間だったのかもしれない。

昨日は、自分でもこれまでと何かが変わったのが分かるし、
クラスメートからも「前と全然ちがうよ」と言ってもらえた。
・・・うん、いっぱい考えて、頭が整理できたからなあ。

このブログで考えてることを書き出して、
「すぐに人と比べる」という自分のパターンを認識できたのもよかった。
昨日は焦っている自分に気がついたとき、
「これって人と比べているだけなんだな」と思えた。
そしたら、「人と比べなくてもいい」という選択肢が出てきて、
結果「比べない」ほうを選ぶことができた。

このプロセス、書くと長ったらしいけど、わずか一瞬の選択だった。
これが、アレクサンダーテクニークの大事な要素である
習慣的な反応の抑制だね。

「時間をかけていい」って自分に言えたら、
授業数を減らす決断ができた。
来月から授業料の支払いが減ると思うと、
さらに気持ちに余裕が出てきた。

さあ、いよいよ第2段階の終わりが見えてきた。
涼しくなったから、レポートにも取りかかりやすいしね。
9月中に1回目のアセスメントを受けてみよう。
がんばるぞー。
スポンサーサイト

お金について考えたこと

最近、お金について思ったこと。

やりたいことやほしいものがあると、まず「いくらかかるだろう」と計算し、
「お金がない。もっとお金がほしい」と考える自分がいて。

でも、よーく考えてみると、
そもそもほしいのは「お金」ではなくて、「やりたいこと」の方なんだよね。
それが「○○がしたい」じゃなくて
「お金がほしい」にすり替わっちゃってる。

今日も車内広告を見ていたら
「月3万円の副収入を得られる資格」と書いてあって、
それを読んで色々想像したら、ため息がでてしまった。
だって仮にその資格を取ったとしたら、
そのサービスを買ってくれるお客さんが必要になるわけでしょ。
そうすると、それを買うために「お金がほしい人」が新たに生まれて、
自分のほうも「お金がほしい」から「お客がほしい」になるだけで、
ある種の循環が永遠に終わらないっていうか、
根本的なところは変わらないような気がするの。

なんでこんなことを考えているかというと、
この間、アロママッサージができる知り合いが、
またマッサージ受けない?って誘ってくれたとき、
本当は受けたかったんだけど、お金がないから断ったの。
そういう時、すごく親しい間柄だったら、
私がアレクサンダーのレッスンをしてあげて、
その代わりにマッサージしてもらうっていうのもアリだなと思った。

お金を介さずに、お互いが自分にできることを交換する。
そもそも貨幣経済がこんなに発達する前の時代には、
人はそうやって生活してたんだよね。

昔に戻れって言ってるわけじゃないよ。
やっぱり物々交換だけじゃ成り立たない時もあるし。

ただ、「お金がないからできない」っていうのは、
この経済システムの中にいるからこその思い込みでもあるんだな、と。

アレクサンダーテクニークのレッスンだって、
「興味あるけど、高いから無理」っていう声も結構聞くし。
いつか私がアレクサンダーの先生になったら、
レッスン代はお金をもらう代わりに、髪の毛をカットしてもらうとか、
マッサージしてもらうとかのオプションを作ってもいいかもね。

ハミガキ

ある日の夜、寝る前にハミガキを始めたら、
背中にズキッと痛みを感じた。
痛みは、「今、無理な動きをしているよ」という体からの直通電話。

ああ、そうか、今やってる動きが原因か。
そう解釈して、ハミガキをする動きを変えてみた。
まず、握っていた歯ブラシを、必要最低限の力で持ち直す。
そして、指先から動いて、歯ブラシを口の中に入れる。
小刻みな歯ブラシの動きを受けて、鎖骨・肩甲骨が動く。
そう…さっきは指先に意識がなくて、
腕を肩甲骨あたりから動かして、歯ブラシを動かしていたんだ。

おお~、効果てきめん、痛みがない。
腕が長く使えているから、どこにも力を入れてないのに、
しっかりと磨けている感じがカラダに伝わってくる。
なんか、すっごい気持ちいい!

そうやってコツをつかんだその夜以来、
私はとても歯磨きが上手になり、朝晩の歯磨きが好きになった。
職場でも昼食の後、大好きな歯磨きを楽しんでしている。
職場は狭くて洗面所がない。
そのため、私を含めた同僚たちは、
仕事をするのと同じ場所で歯磨きをしている。

そして今日のこと。
昼食から戻ってきた同僚が、いつものように歯磨きを始めた。
見慣れた光景なので、見るともなしに見ていたら、
その動きが、今日はなんだかすごくいいのに気がついた。
腕が長く使えていて、無駄な力みがほとんどない。
加えて、視界も広い。
・・・いつもこの人、流しにかぶりついて、
ガシガシと力入れて磨いていなかったっけ?

私、特に何も教えてないんだけど…
でも、もしかしたら、これが「教える」っていうことなのかな?

私はずっと、自分の周りにいる人たちに
アレクサンダーテクニークを教えてあげたいと思っていた。
でも、聞かれてもいないのに
「無駄な力が入っているから、もっとこうしてみたら?」なんて言うのは、
余計なおせっかいでしかないと思って、何も言わないでいた。
たまに聞かれることがあっても、あんまりうまく説明することができなくて、
自信をなくしたり、もっと教える練習をしなくちゃと焦ってみたり。
最近は教えるってこと自体が何なのか分からなくなっていた。

だから今日、すごいびっくりした。
「教えよう」とも思わずに、自分のすることをただ楽しんでいたら、
それが結果として「教える」ことにつながった・・・みたいな。

これでいいのかな?
まだよくわからない。

大いなる沈黙へ

先日、岩波ホールで『大いなる沈黙へ-グランド・シャルトルーズ修道院』
という映画を観た。
フランスのアルプス山脈にある修道院の様子を映したドキュメンタリー映画。
申請をしてから16年の歳月を経てようやくおりたという撮影許可の条件は、
音楽なし、ナレーションなしだったとのこと、
その条件のとおり、映像は修道院での生活を静かに淡々と追ってゆく。

上映時間は約3時間。
その間、特別なことはなにも起こらない。
起伏のあるストーリーはない。
セクシーな美男美女が出てくるわけではない。
善人も悪人も出てこない。
もちろん殺人もアクションも推理もない。
讃美歌以外、音楽もダンスもない。
時折聖書の一節が繰り返しさしはさまれる意外、
会話や言葉がほとんどない。

映画が始まってすぐ、うわーこれがずっと続くのか・・・
と思って気が遠くなった。
私たちハリウッド映画に慣れてしまっているから、
刺激がないと耐えられないんだよね。
「これ観ようよ」と誘ってくれた友達は、
いつの間にか隣で寝息をたてていたし(笑)、
上映中に帰ってしまう人も何人かいた。
私は居眠りこそしなかったけど、気がつくと
映画と関係のない色んなことを考えていた。

そうね、こういうときはどうしようか・・・
いつもレッスンでやっている「見ること」の練習をしてみよう。
映画を見るとき、つい映像を「見よう」と凝視してしまうものだけど、
そうではなくて「見えている」と思ってみたらどうだろう。
目に映るものは眼球を通って入ってきて、
後頭部の視覚野で受け止めている。
スクリーンも見えていて、それを見ている人々も見えていて、
刺激がほしくなっている自分のことも見えている。

そうやって自分のことも、まわりのことも
肯定も否定もしないで眺めていたら、
途中から、自分の感覚が敏感になってきたのに気がついた。
何も起こらないから退屈だと思っていた映像が、
本当はすごく変化に富んでいることに気がつきはじめた。
だって、朝は日が昇るし、夜は星がきれいだし、
季節がめぐって春になるし、窓から差し込む日差しはきれいだし。

その瞬間に見えているものと一緒にいると、
一つひとつのシーンを味わい、楽しめるようになってきた。
刺激がほしくなるのは、映画が見せてくれる「今」を
受け取っていなかったからなんだ。

そうやって楽しみながらも、シーンが変わるたびに
「これが最後かな?」「これで終わりかな?」と
期待している自分にも気がついていた。
正直なところを言ってしまうと、映画が終わったときはホッとした。
「終わり」という変化がほしかったから。
やっぱり人は刺激がほしい生き物なんだろう。

映画館を出て、友達が言った。
「私たち、よく頑張ったよね」
うふふ、ホントだ、よく頑張った(^-^)

映画が終わってから見た、神保町の交差点。
繊細になった私の感覚は、しばらくの間、修道院のカメラみたいに、
見えるもの、聞こえてくる音を、ただ味わうように受け取っていた。

アレクサンダーは時間がかかる

私が「アレクサンダーテクニーク」というものを始めて知ったのが、
2008年の夏ごろだったから、今からちょうど6年前になる。
体験レッスンを1回受けて、その場で教師の資格を取ることを即決した。

フルタイムというコースに通えば
平均4年ぐらいで資格が取れると聞いて、フルタイムにした。
当時は人並みに4年くらいで先生になれると思っていた。

それから6年。
途中いろいろと時間がかかってしまい、
第2段階になってから、今年でやっと2年になる。
実習に入る第3段階へのアセスメントを受けるタイミングは、
自分で決めることになっている。
そのタイミングは、時期が来たら自分で分かると思っていた。

でも、いつまでたっても自分が「できる」と思える時期が来なくて、
相談してみたら、
「それは“できる”と思うタイミングじゃなくて、
“やってみたい”と思うかどうかじゃない?」
と言われて、なるほどそうだなと納得した。

それが2カ月ぐらい前のこと。
それから一度「アセスメント受けるぞ」と一大決心をして、
いろいろ頑張っていたんだけど、ここへ来てまた迷いが生じている。

なぜなら、自分の心の中を探ると、アセスメントを受ける動機が
主に「焦り」だということに気がついたから。

お金が続かないから、早く資格取って卒業したい。
同時期に勉強を始めた人たちはみんな自分より先に進んでいる。
後から勉強を始めた人たちにも、どんどん追い越されている。

お金がかかるというのなら、またしばらく休学するとか、
授業数を減らすとかもできるはず。
それをしないのは「また遅れてしまう」と思っているから。
つまり人と比べているから、焦っているというわけ。
なんか、無駄にプライド高いなあ、私・・・

時間がかかることそれ自体は、人と比べさえしなければ、
いいも悪いもないんだよね。

お金が続かないのは、現実問題として、困る。
それじゃあ、もしもお金に余裕があったら、どうする?
--もっと時間をかけて学びたい・・・かな。
少なくとも、いついつまでにアセス受けなきゃとか、
こんなふうに自分を追いたてたりしたくない。

ということは、お金がかかるから早くしようって思うのは、
本当は今やりたくないことをやろうとしているわけだ。

アレクサンダーテクニークは誰に強制されているわけでもない、
本当に自分が好きで、興味があって、必要で学んでいることだから。
他の人とくらべて自分がどうとか、関係ないんだ。
お金のために先生になりたいわけじゃないんだ。
ただ好きだから、その想いを表現したいだけなんだ。

だから、納得いくまで時間かけたらいいじゃない?

冷えの原因

2週間前にひどい夏風邪をひいてしまい、
それ以来体調が悪い・・・

たくさん汗をかいて、「暑い」と思っていても、
お腹とか脚に触ると意外なほどひんやりしているので、
実はカラダは結構冷えているんだなあ、と思う。

職場の席がクーラー直撃の場所なので、
最近は防寒に厚手のパーカーを着て、
首を冷やさないようにストールを巻いている。

今日の午後、隣の席の人と雑談をしていた。
とある制度の話題だったんだけど、
「せっかく納めた税金がそんなことに使われているなんて、けしからん~!」
的なことを、ちょっと感情をこめて冗談ぽくオーバーな身ぶりで話したら、
突然、急速にカラダが暑くなってきた。

暑いのでひとまずパーカーを脱いだら、
そのあと帰るまでの1時間ぐらい、パーカーなしでも平気だった。
そのくらい、カラダがあたたかかった。

なんだろう、これは・・・
そこで思い当たったこと。

実は最近、気になっていることのひとつに、
自分のしゃべりかたに抑揚がなくなってきたっていうのがあって。
もともと、そんなに口数が多い方じゃないうえに、
ここ数週間、パソコンで黙々と単純作業をしていたから、
それでますます冷えてきた?

生き生きと感情こめて話すと、
カラダの中を「気」がめぐるのかもしれない。
私の冷えは、クーラーのせいばかりじゃないのかも。
単純作業はまだ続くから、これからはもうちょっと意識して
人と話すようにしてみよう。
検索フォーム
QRコード
QR