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Author:hikari
アレクサンダー・テクニークを教えています。からだとこころにまつわる日々の気づきなどを綴っていきます。

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楽さを選択する

これまでずっと、階段を上ると息切れを起こしていた。
アレクサンダーテクニークを学んでからは、
昔に比べるとずいぶん息が切れなくなったと思う。
それでもまだ息切れがしやすくて、たまに人からびっくりされることもある。

この間も駅の階段を上っているときに息が切れ始めた。
そのとき、考えるのがなんだかめんどくさかったので、
開き直って自分が楽に感じられる体勢をとった。
自分としては背中を丸めたへんな姿勢だったんだけど、
階段を上る自分の姿をガラス越しに見てみたら、
背中はぜんぜん丸くなくて、
むしろスッとのびて、流れのあるきれいな姿勢だった。
その状態で上ったら、スタスタ上がれるうえに、
息が全然切れなかった。

そうかー、これでよかったんだ!

いわゆる「気をつけ」が体に負担をかけることは知っていたし、
それをやめたら楽になることも、何度もレッスンで体験してきた。
でも、いまひとつ実生活で楽にならなかったのは、
学んだ知識に沿って自分を動かそうとしていたり、
以前うまくいったときの感覚を再現しようとしていたから。

どうすれば楽に動けるか、
今この瞬間の自分の体に聞いて、従ってみた。
そうしたら、うまくいった。

それができたときに、
自分が怠けているような感情がやってきたのは、
私が日頃がんばりすぎていたっていうことだね。
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冷え取り健康法

先月あたりから、ゆるやかに「冷え取り健康法」を始めてみた。

私は色んな健康法を試すのが好きで、今回の冷え取りもそのひとつ。
毎年、梅雨時になると何日も微熱が続いたりと、体調を崩すことが多いので、
噂の冷え取りを試してみようと思ったわけです。

といっても、そんなに厳密にはやってはいなくて、
でも、寝るときだけは4枚重ねの靴下をしっかり履くようにしている。

最初は寝るときに靴下を履くなんて、ありえない! しかも4枚も!
…と思っていたんだけど、靴下を履いてみたら意外と快適で、
暑苦しいと感じるところか、むしろ逆に、
履いた瞬間から脚の冷えがとても感じられるようになった。

それから約1カ月。
これまでは夏場、朝起きると脚がだるい感じになることがよくあったんだけど、
靴下を履いて寝るようにしてから、それがないことに気がついた。
そういえば、今年の6月は微熱を出していない。
あのだるさや微熱は、きっと冷えのせいだったんだ。

今回のことで自分にとっての健康の定義がアップデートされた。
今までは、冬でも靴下を履かないでいられるくらい、
「丈夫な体を持つこと」が健康な状態だと思ってた。
でも今は持つべきなのは「丈夫な体」より、「正確なセンサー」だって思う。

自分の体が冷えているか、不快なのか快適なのか、
そういった体の声をちゃんと聞くことができて、
その感覚に従って身につけるものや食べるもを選ぶことができるってこと。

丈夫な体になるために、少しくらいの寒さは我慢したほうがいいと思ってたけど、
それを続けているうちに、自分が我慢していることに気づけなくなってたみたい。

体を丈夫にしたかったら、
厳しく鍛えるよりも、感覚を磨いたほうが、結果がついてくるのだね。

背の順

先日、キャシーのクラスで「ワークショップで教える」アクティビティをした。

みんなでできる遊びをしようと思って、
20人ほどいたクラスメートを2つのグループに分けて、
背の順に並んでもらった。

そして、一番背の高い人が、背の低い人の前に来て・・・

という流れを描いていたので、
教師としてみんなにそのようにお願いをしたところ、
私の様子を見ていたキャシーからストップが入り、
「いま、どんなことを考えたの?」というようなことを聞かれた。
私がその指示をしたときに、体を固めるような反応が見えたのだという。

私としては、自分がそこで緊張していたなんて、ちっとも気づかなかった。
そのくらい、私にとっては「いつもそこにある感覚」だった。
だから、その時「えっ、そこで止めるの?」って思ったんだけど、
その直前に一瞬自分の心をよぎった考えに、すぐに思い当たって、こう答えた。

「えっと・・・・・・”背の低い人”って言っていいのかなって思って・・・」
私自身が「背が高い」って言われるのをずっと気にしてきたから、
私が指名したその人は「背が低い」って言われるの嫌なんじゃないかなって、一瞬思った。
そう、キャシーの言うとおり、私はたしかに緊張したんだ。

私は物心ついた頃から身長問題についてはずっと考えてきて、
背が高い、低いということが、
それ自体意味を持つものではないってことも、よーく分かってる。
「背の低い人」を「小柄な人」と言いかえればいいとも思っていないし、
そのとき、自分のしようとしたことが間違っているとも思っていない。

そうじゃなくてね。
私は体の大きさをわざわざ問題にされたくないのね。
特に、人を指し示すときに。
そのとき、「背が低い」って言われた人は気にしなかったようだけど、
私は自分を大切に扱うように、その人を扱いたかったの。

そのあと、背の順に並んだクラスメートを見て、私は強烈な違和感を覚えた。
自分としては理由があってやったこととは言え、
なんだか変! みんなが整然としすぎている!
そう思ったら、その先を続けられなくなった。
キャシーが言うには、学校時代の記憶が人を緊張させることがよくあるって。
そうだね、背の順はまさに学校時代の記憶と結びついている。

この遊びは別に背の順じゃなくても成り立つから、
背の順にするのはやめておこう。
と思ったところで、その日の私のアクティビティは終わった。

それから数日間。
そのときのことを思い出すと、じわじわ泣けてきて仕方がなかった。
それは悲しいからではなくて、何かが溶けて出てきたみたいな涙だった。

キャシーは私の身体にあらわれた反応を見て、それを教えてくれた。
そうして、私は自分が望まないことをしていることに気づき、
同時に自分が何を望んでいるかを知ることができた。
レッスン中、キャシーは私の体にほとんど手を触れなかったけど、
それでも私はとても深いところに触れられたように思う。
忘れかけた記憶、無意識の反応に対して、「YES、ここにあるのよ」と、
そっと手を置くような、そんなレッスンだった。
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