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Author:hikari
東京・吉祥寺の「アレクサンダー・テクニーク教室FUN」で教えています。
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ブログでは、からだとこころにまつわる日々の気づきなどを綴っていきます。

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1人を変えるために、特別なことはなにもしていない

この間自分が教えたレッスンで
「下を向く」が上手に教えられなかった。

それ以来、どうやって下を向いたらいいのか、
自分なりに試行錯誤しながら、ずっと考え続けていた。

なんとなくわかってきたことは、
首の動かし方それ自体を変えるよりも、
立ち方や座り方での全身のバランスの取り方が変わると、
首の動きが自ずと変わるということだった。

脚や胴体に無理がないと、
その上にある頭と首は楽に動くのだった。

やっぱり、部分ではなく全体を見るってことなんだね!
って納得。

そんなことに気づいたとき、
記憶の中にある、ひとつの出来事が思い出された。

ちょうど1年前の秋のこと。
福島に住む80代の伯母が末期癌で入院していた。

戦争中に青春時代を過ごした伯母は
生涯独身だったので、子供や孫がいなかった。
その分、甥や姪である私たちをとても可愛がった人だった。

そんな伯母の最後の日々に、
必ず誰かがそばにいられるようにと、
私たち兄弟はシフトを組んで毎日東京から通うことにした。

入院している伯母は、はっきりとした意識はあるものの、
目も見えず耳もほとんど聞こえず、
声をだすこともできない状態で、
手も脚も、体じゅうが痛みで硬直していた。

伯母の体を少しでも楽にしてあげたいと、
私は一生懸命にアレクサンダーテクニークを使った。
頭の位置をわずかに調整したり、腕の緊張にはたらきかけて
呼吸が楽になるようにしたり。
でも、痛みそのものがなくなるわけではないし、
その緊張は痛みに耐えるために必要なものにも思えた。

ある週末、病院に家族全員がそろった。
私たちは伯母のベッドを囲んで、
次の週のシフトを決める話し合いをしていた。

「俺、その日はダメ、大事な会議があるから」
「うわー俺もダメ。ここは休めない」
「じゃあこの日は私がでるから、代わりにこの日出てよ」
「しょうがないなあ、なんとかするよ」

こんな交渉の末、シフトが決まった。
サラリーマンの日常丸出しの、和やかな雰囲気だった。

ふと伯母を見ると、さっきまで苦しそうだった体が、
明らかに、とても楽そうにゆるんでいた。
まるで「あー安心した」とでもいうように。

会話の内容は聞こえていないはずなのに。
私たちの和やかな談笑に、体が反応をしていたのだ。
肌感覚で、その場の空気がわかるのだろう。

1人を変えるために、特別なことはなにもしていない。
それを起こしたのは、私たち全体の変化だった。

それからほどなくして、伯母は天国へ召された。
その日決めたシフトは途中で終わった。

ちょっとしんみりするエピソードだけど、
全体性を思うとき、私はこの日の光景を思い出す。
とても大切な思い出だ。
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下を向く人

今日、仕事帰りに電車に乗っていたら、
となりに座っている人が、おつかれなのかウトウト居眠りをしていた。

眠っているその人の首は、とってもゆるんでいた。
電車の揺れと一緒に、頭が赤べこみたいにぶらぶら揺れて、
丸まった背中が、収穫を迎えた稲穂のように、長ーく伸びていた。

実るほど こうべを垂れる 稲穂かな

ああ、きれいだなあ・・・
と、牧歌的なイメージとともに、
首から背中にかけての曲線に、目を細めて見とれる私。

お隣さんが居眠りする姿を見て、
私はふと、先日自分が教えたレッスンを思い出した。

スマホを使い始めてからひどくなった肩こりを
なんとかしたいという生徒に
無理なく「下を向く」っていう動きのレッスンしていたんだけど、
どうにも上手く教えられなかった。

トップジョイントの場所を教えて、
「ここから動けるんですよ」って説明したら、
生徒の動きはどうにもぎこちなくて、むしろ苦しそうだった。
今にして思うと、「特定の関節」を「動かそう」としすぎて、
かえって体を固めてしまっていたのだった。

ひるがえって、私の隣で眠りこけているその人は、
その「無理なく下を向く」がとっても上手にできていた。
それはきっと、「やろうとしていない」からなんだ。

やりたいことを やろうとしない って・・・
禅問答みたいだけど、実際そうなのだよ。
それをどうやって伝えるかに、今頭をめぐらせているところ。

アレクサンダーテクニークって名前からして、
なんか立派なことを教えているみたいな印象だけど。
実際、お手本は居眠りだったりとか、
とっても身近で自然な動きだったりする。

さて、私のとなりで熟睡していたその人は、
目的の駅につくや、パッと目覚めて立ち上がり、
そのまま流れるような動きで電車を降りて行った。
帰巣本能のなせる技かしらね。
人間ってすごいな!

楽しく走る

9月から会社の近くのフィットネスクラブに通い始めた。

これは私にとっては、とっても画期的な出来事。
私は運動が苦手で、中学校の体育では「1」を取ったことがあるのだ。
「1」じゃないときは良くても「2」だった。
思い出す限り、体育に関してそれ以上の成績はとったことがない。
そのくらい体を動かすのが苦手だった。

その私が、フィットネス。

といっても、大したことはしていない。
いつもするのが、ランニングマシーンでのウォーキング。
歩きながら、自分自身をていねいに観察するの。
たくさん歩こうとか、早く歩こうとかは思わないで、
ただ歩く自分の動きを感じてみる。

そうしていると、だんだん楽しくなって、
自然にスピードを上げたくなってくる。
回を重ねるごとに少しずつスピードを上げて行ったところ、
ある日「もうこれは走った方がいいのでは?」って速度になったので、
ついに思い切って走ってみた。

すると、楽しいんだな、これが!
首が楽で頭が自由に動けると、背骨も腕も自由になる。
走りながら胸郭を押さえつけてないから、呼吸が楽。
息はもちろん早くなるけど、苦しいという感じがしない。
息が次々体を出入りしてること、それ自体がわけもなく楽しい感じ。

ふと正面の鏡に映る自分を見ると、
なんと走りながらニカーって歯を見せて笑っている自分がいた!
ぶひゃひゃひゃひゃ!
そんな自分の顔を見て、さらに楽しくなってくる。

圧力なべの重りが蒸気でシュッシュ、シュッシュと揺れるように、
私の頭も呼吸に合わせて動き続けて、
まだ行ける、全然行けると思いながら、
結局その日は1.5キロ走り続けた。

なんだろう、首が楽だとね、走り終えてもすぐに呼吸が戻るし、
不思議なことに汗もあんまりかいていなかった。
たくさん動いたけど、脚もどこも痛くない。

学校時代はマラソン大会が本当に憂鬱だったけど、
こんなふうに走ることができたら、きっと楽しめただろうな。

楽に、楽しく走れたのは、たぶん、
自分の内にわき上がる「走りたい」という気持ちに従った結果だったから。

だけど、次も「楽しく走ること」自体を目標にすると、
今度は逆に楽しく走れない気がするな。
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