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Author:hikari
東京・吉祥寺の「アレクサンダー・テクニーク教室FUN」で教えています。
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ブログでは、からだとこころにまつわる日々の気づきなどを綴っていきます。

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側わんという学び

これまでの私にとって、
側わんがあることで、一番気になっていたのは見た目でした。
後ろから見た時、背中の右側が出っ張っていることが恥ずかしくて、
誰かに後ろに立たれることを、ゴルゴ13ばりに恐れていました。

「朝、目が覚めたら背中が直っていればいいのに」と、
私は毎朝起きるたびに祈っていました。
そのくらい、“右側”の出っ張りのことばかり気にしていました。

それからアレクサンダーテクニークを学び始めて、
時は流れ・・・あれは1年ほど前のことだったでしょうか。
ある日、何気なく自分の体を触っていて、気づいたのです。

背中の“左側”に厚みが出ていることに。

虚を突かれて言葉を失い、
代わりに出てきたのは、涙でした。

左に厚みが出たということは、右の厚みが減ったということ。
それは結局同じことなのだけど、
同じだということに、私はずうっと気づきもしないで、
ひたすら右側ばかり見続けていて。

あんなに望んでいたものが与えられたとき、
待ち続けていたのとは逆方向からやってきて、
自分の思い込みに気づかされて、
しかもそれを自分の体が教えてくれた。
今もうまく説明ができないくらい、心が震えたのでした。

16世紀、スペインから西に向けて
世界一周の航海に出たマゼラン艦隊は、
3年後、東から母港に帰ってきました。
なぜなら、地球は丸くて、ひとつながりだから。

私の体も同じでした。

ひとつであること。
つながっていること。
それを知るのではなく、気づくこと。
気づきはいつも現在形で、
音もなく、私を一瞬で新しい世界へ連れて行く。
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アレクサンダーと側わん(4)

さて。
側わんを治したいと思ってこのブログにたどりつた人は、
私の哲学よりも、結局体がどうなったのかを知りたいと思われるでしょう。

アレクサンダーテクニークを始めて今年で9年になりますが、
今現在の経過では、レントゲンで確認できる湾曲の角度自体は変わっていません。
このブログのプロフィール写真を見ていただいても分かるように、体は傾いています。
自分としては真っ直ぐ座っていたつもりなんですけどね(笑)。
でも、見た目の印象は結構変わったと思います。

参考までに、ビフォア・アフターの写真をアップします。
左がアレクサンダーテクニークを本格的に学び始めて1年目の頃、
右がそれから約2年後のものです。
(髪がボサボサなのは見逃してください・・・)(´∀`*;)ゞ

b_a.jpg

左の写真では、腰のあたりに緊張があるのが見えますか?
この頃はまだ必要以上に胸を張ろうとする癖があって、
わずかに後ろに反らした上体を腰で支えていいます。

右の写真では、左に比べて頭の位置が高くなっています。
それに伴い、背中の力みが抜けて、上体がスッと上に伸びています。
からだ全体に厚みがでています(ちなみに体重は変わっていません)。
なんだか見ていて安心感がありますね(^-^)

今は右の写真を撮影してからさらに5年ほどたつので、
また変化していると思います。
時々合わせ鏡の前で前屈をして、背中の左右差を見るのですが、
この頃は以前ほど左右の高さの違いが目立たなくなってきました。

生活の質も変わりました。
以前の私はとても疲れやすくて、
まとまった量のアイロンがけをすると、それだけでダウンしてました。
そして「背骨が曲がっているから仕方ない」と、
うまくいかないことはすべて側わんのせいにしていました。

もちろん今はそのくらいでダウンすることはありません。
背中が痛くなったりしても、それを側わんのせいにはしません。
背中が痛くなるような動きを自分でしていたのだと考えて、
自分で体の動かし方を改善することができます。

骨が曲がっていることは容易には変えられませんが、
動きは自分で変えられます(少し練習が要りますが)。
上手くいかないことすべてを側わんのせいにしていた私は、
そう思えるようになって、自由な気持ちになりました。
「人生の主導権を自分に取り戻した」、
ちょっと大げさに聞こえるかもしれませんが、そんなふうに思います。

これは実感からくる私の考えですが、
生命って、結構柔軟なシステムなのではないかと思います。
体にとって背骨が重要なのは間違いないけど、
それが曲がっていても、曲がったなりに
からだはきっと全体で協力し合って、私を生かそうとしている。
背骨はその形よりも、
からだ全体のなかで、「動きのコーディネーター」として
はたらいているかどうかが大切なのだと思います。

そんな風に考えられるようになったので、
側わんがあっても私は大丈夫。
――今の私はそう思っています。

アレクサンダーと側わん(3)

少し忙しかったので、久しぶりのブログ更新となりました。
今日のテーマは側わんです。

アレクサンダーテクニークのプロコースでの学びは、
簡単に言い表すことはできないのですが…
その何とも言い表せないところが私には面白いものでした。

「分からないのが面白い」なんて、不思議に思われるかもしれませんね。
今、あの学びの時間を振り返ってみて良かったと思うのは、
自分で納得のいくまで悩んで考えることができたことでした。
アレクサンダーテクニークは、国内外の色々な先生に教わったけど、
教え方とか言っていることは本当に人それぞれでした。
でも明快な定義や答えがないからこそ、
自分の腑に落ちるまで、いつまでも考えることができたし、
すぐに答えを出さなくていいところに安心感を覚えました。

まさにジグソーパズルのピースをつなげていくように、
一つひとつ、自分なりの身体観を形づくっていきました。

そのうちに、ふとした瞬間に気づくのです。
考えだけでなく、体もいつのまにか変化していることに。

例えば、数カ月おきの歯医者さんの定期健診で。
座り慣れたリクライニングシートの背もたれへの
背中のあたりかたが前より左右均等になっていることに。
衣替えの季節、前の年のコートの胸のボタンがとまらなくて、
袖もつんつるてんになっていることに。
デパートの化粧室から出るときに、ふと目に入った自分の後ろ姿が、
明らかに前と変わっていることに。

体に負荷をかけるような体操やトレーニングをしたわけではないのです。
すごーく平たく言うと、ふだんの体の動きを見直しただけ。
「何々をしたから」というより「何もしなかった」という感想が近い。
だから、いつ変わったのか分からない。

でも、いつ変わったのか分からないからこそ、いいのです。
努力をやめたら元の状態に戻ってしまうという、
不安や強迫観念から自由になれたからです。
前にO脚矯正サロンを退会するときに言われた言葉、
「あなた、やめたら元に戻るわよ」
そのとき感じた疑問に対して、
ここでようやく自分なりの答えを出すことができました。

元々体は完璧にできています。
だから、過剰な何かをやめれば上手くいく。
それはまさに、天動説から地動説へ世界の見方が変わったのと同じような、
自分史上のコペルニクス的転換でした。
そして構造体としての体がいかに完璧であるかは、
解剖学を学ぶ中でも確信に変わっていくのでした。

これまでの経緯をブログに書きながら振り返ってみると、
それまでの私は、とても人の意見に左右されていました。
中学校の保健の先生、病院の偉い先生、
通っていたサロンの院長や施術を受けていた整体師、
それからインターネットで読んだ、自分より詳しそうな誰かの意見…
そうした意見に対して反射的に逃げたり、盲目的に従ったり。
後悔とか反動を原動力にして、
現代医学と代替療法の間を、振り子のように行ったり来たりしていました。

そうではなく、意見や情報を、まずはいったん自分で受け止める。
すぐに反応しなくてもいい。
そして自分で考えて、自分で決める。
私が本当に欲しかったのは、正しい答えを教えてもらうことではなく、
「自分で決める」こと。
それこそが本当に自分に力を与えてくれるものでした。

続きます。
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