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Author:hikari
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脊椎側わんの話(2)

それから高校生になり、1年間の浪人生活を経て大学生になりました。
その頃の私は健康上は特に大きな問題はなく、
勉強、サークル、アルバイトに海外旅行と、
多くの友達に囲まれて、元気に忙しい毎日を過ごしていました。

また、大人になるにつれて体とともに心も成長するもので、
中学生の時にはあんなに気にしていた背の高さも、
その頃にはほとんど気にならなくなっていました。
ただ、「側わん症」であるということは、
意識の底で大きなコンプレックスとなっていました。

本来、左右均等の厚みがあるはずの胸郭が変形しているので、
後ろから見ると背中の右側が盛り上がった形になります。
そんな背中の出っ張りを隠すために、なるべく体の線が目立つ服は避け、
右側の肩甲骨が出っ張らないようにと、いつも肩を後ろに引いていました。

当時の私は自分を欠陥品だと思っていたし、
こうなったのは身長が高いのを気にして猫背になっていたからだ思って、
自分を責めていました。

そして、大学3年生の時。
健康診断の後、学内の健康管理センターというところから呼び出しがあり、
私は初めて自分の背骨のレントゲン写真を見ました。
そこには私の想像をはるかに超えて変形した背骨があったのでした。

まさか、ここまで曲がっているとは。
だから、中学の保健の先生はあんなにしつこく私に言っていたのだ。
目の前に現実を突き付けられて、
とても大変なことが自分の体に起きているのだと、
今更ながら認めないわけにはいきませんでした。

その後、大学で紹介された病院に行き、整形外科で専門医の診察を受けました。
その時の私は21歳、背骨の角度は54度。
脊椎のカーブは、ここで止まる可能性もあれば、進行する可能性もある。
ちょうどグレイゾーンにいるのだと説明を受けました。
そして、

「どうしてこんなになるまで放っておいたんだ!」
その医師は、大きな声で言いました。

それは医師としての愛情から思わず出てしまった強い態度だったと、
今では理解しています。
しかし、自分の体の「欠陥」にショックを受けていたところに、
さらにそれを放っておいたことを責められて、
当時の私はまるで往復ビンタをくらったように感じられました。

もしも中学生だったあのとき、素直に先生の言うことを聞いていたら、
コルセットで進行を止められたかもしれないのに。
取り返しのつかないことをしてしまった後悔、
怒鳴られたことの恐怖と恥ずかしさ、
そして自分自身への怒りの感情に圧倒され、
目を真っ赤に泣きはらして診察室を出ました。

後日、親を交えて話し合いが行われましたが、
昔堅気の私の父が強硬に反対したため手術には至らず、
年に一度必ず経過観察をするということになりました。

しかし、私はその約束を守りませんでした。
当時を振り返ると、怒られたことがやはり大きかったように思います。
だからといって、そんな大事なことを放っておくなんて・・・と、
今なら客観的に考えられます。

振り返ると、私には子供の頃から自分を責めるクセがあって、
問題と自分を分けて考えることができなかったのだと思います。
だから問題が起きたときに、解決するとか立ち向かうという発想に向かわなかった。
また、見た目が気になる以外には痛みもなく、
普通にしている分には生活に支障がなかったことも理由のひとつです。
もっと単純に言うと、どうしていいか分からなくて固まっていたんだと思います。

そうして月日が過ぎていき、
私が再びその医師の診察を受けたのは、それから13年後のことでした。

続きます。
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