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Author:hikari
東京・吉祥寺の「アレクサンダー・テクニーク教室FUN」で教えています。
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アレクサンダーと側わん

私が初めてアレクサンダーテクニークを知ったきっかけは、
漫画家の槙村さとるさんのエッセイ『3年後のカラダ計画』(幻冬舎)でした。
昔好きだった漫画家さんの本だったので手に取りました。

そこに書かれていたのが、「アレクサンダーテクニーク」。
背骨に関することをやっているということもあり、
ピン!と直感に訴えかけてくるものがありました。

期待に胸をふくらませて、初めて参加した体験ワークショップでは、
正直言って自分のカラダに何が起きているのか、よくわかりませんでした。
それでも、その時、私は決めました。
「これを学んで、教える人になろう」、と。
まさに直感で、そこに1秒の迷いもありませんでした。

ひとつには、アレクサンダーテクニークの考え方に共感したからです。
それを私なりに表現すると、
「上手くいかないのは、努力が足りないのではく、むしろ多すぎるから」。

物やサービス、情報があふれかえっている今の時代。
“多すぎること”に、ずっとずっと疑問を持ってきました。
本当に大切なことは、もっとシンプルなはずだと思っていたので、
その考えの方向性に真実味を感じました。
(とは言え、アレクサンダーテクニークは100年ほど前に生まれたものですが)

また、アレクサンダーテクニークをやっている人たちのたたずまいというか、
存在の質に安心感を覚えたことも大きかったように思います。
そこに「静けさ」とでも呼びたい何かが感じられたのです。

私の直接的な願いは「側わん症」の進行を止めたいということでしたが、
そこに過剰な期待を抱くことはありませんでした。
身体は、良くなるものなら治したい。
けれども、本当に解決すべき問題はそこではないということも、
自分自身が一番よく分かっていました。

「側わん症」であることで私を一番苦しめていたのは、
痛みなどの身体的な面ではなく、心理的な面でした。

私はそれまで自分の体を「醜い」「みっともない」「恥ずかしい」と思い、
そんな劣等感を克服しようと、“自分の悪いところ”を探して、
片っぱしから直そうと決意をし、そのための努力をしました。
努力の甲斐あって、劣等感は多少改善しましたが、
なぜか心がどんどん狭くなっていき、そのことが私を苦しめました。
努力していないように見える人を見下し、
自分の基準に満たない人が許せなくなりました。
そして、そんな自分の心の狭さを否定するという、負のスパイラルに。

もしも、手術で体が変わったとしても。
あるいは、どこかのスゴ腕整体師が私の体を変えたとしても。
本当の問題は、それでは解決しないことをうっすらと感じていました。

アレクサンダーテクニークの個人レッスンを受け始めたばかりの頃のこと。
忘年会のパーティで初めて会ったジェレミー(Body Chance校長)に、
私は自分のことを話しました。
その時、ジェレミーは私にこんなことを言いました。
「君の心が狭くなっていったのはよくわかる。それは当然のことだ」
そして続けて言いました。「君はすでに完璧なんだよ」
この私が完璧?体にこんな欠陥があるのに?
「完璧」という言葉を素直に受け取ることができず、
理性では納得していないのに、なぜか泣けてきたのを覚えています。

心の奥底で、何かが溶け始めていました。

続きます。

脊椎側わんの話(5)

前回からの続きです。

それから私は、インターネットでリサーチを始めました。
インターネット――私が学生の頃にはなかったツールです。
そこで色々な知識を得ましたが、混乱も増しました。

ネット上には、大きく分けると2種類の意見がありました。
ひとつは、整体などを“民間療法”と呼び、存在自体を完全否定する意見。
もうひとつは、現代医療に不信感を抱き、否定する意見。
どちらの主張も理解できるけど、
どんな意見でも、異論を許さない雰囲気があるものは恐かったし、
自分の求めているものではない気がしました。

自分としては、整体などの存在は否定はしない。
だけど自分の側わんに対しては効果がなかったこと、
それまでの13年でわん曲が進行していたこと、
そしてこれからも進行する可能性が高いことを考えて、
手術を受けることを決断しました。
こう書くと、とても冷静に判断したように読めますが、
実際はもっと早くにそうすべきだったと、
激しく後悔する気持ちが渦巻いていました。

が、手術を実現することはできませんでした。
私が手術に向けて動き始めた矢先、
父が急死し、それどころではなくなってしまったのです。

家の中が落ち着くまで、何年もかかりました。
その間、私も少し冷静になりました。
もしかしたら手術をしなくても済む道があるのではないかと、
あらためて側わん症の専門医がいる複数の病院を訪ね歩きました。
最初に出会った医師は、わん曲の角度が50度を超えた患者は
問答無用で手術をしなければいけないという方針でしたが(と私は感じた)、
病院によっては、その方針は絶対ではないことを知りました。
患者が望まない場合は、強要しないというスタンスです。

その時の私は手術が絶対に嫌だと思っていたわけではありませんが、
その病院では「手術をする」「手術をしない」という
2つの選択肢を与えてもらい、安心することができました。

思い返せば中学校で保健の先生に初めて「側わん症」と指摘され、
「病院に行きなさい!」と追いかけられたときも、
逃げ回ったのは、そこに選択肢がなかったからでした。
そう、私は選択肢という、心の安全地帯がほしかったのです。

現在はその医師のいる病院で経過観察をしています。
10年ほど経ちますが、今のところ進行はストップしています。
しかしそれは今後も進行しないという保証にはならないので、
定期的に様子を見ながら、医師と相談をしていくつもりです。

ここまでが私の体験談です。
読んでくださった方、個人的でシリアスな話にお付き合いいただき、
本当にありがとうございます。

次回から、私がアレクサンダーテクニークに出会って
何を学び、考え方や体がどのように変わったていったか、
そしてアレクサンダー教師となった今、
どんなことを大切にしているかを書いて行きます。

脊椎側わんの話(4)

久しぶりに、テーマは脊椎側わんです。

前回では、ずっと見ないふりをしてきた自分の体の問題にちゃんと向き合おう、
そう決心した人生のターニングポイントまでを書きました。

方向転換の原動力となったのは、強い強い、後悔の念でした。
「悪いところがあるのに、どうして今まで直そうとしなかったんだろう」
その思いは、私を次の考えへ向かわせました。
「これからは、自分の悪いところをどんどん直していこう」
そう決心した私は、健康関連の本を読み漁りました。
自分改造計画のスタートです。

その当時、健康・美容業界では「骨盤」が注目され始めた時期でした。
私は骨盤の歪みが様々な不調に影響しているという考え方に惹かれました。
――ゆがみをただす。
なんて魅力的な響きでしょう!
“矯正”の2文字が私のとらえたのです。

さっそく、本で読んだ骨盤矯正サロンに通い始めました。
そこは胸郭から骨盤の歪みを整えるというのが大きな魅力でした。
サロンで週に1~2回施術を受けて、
家では教わった体操を毎日1時間ぐらい行いました。
脚を組まない、ほおづえをつかない、横向きに寝ないなどの
生活上の注意もかなり忠実に守りました。

手をかければかけただけ、体は応えてくれるもの。
通い始めて1年後、もしくはそれ以上たった頃でしょうか。
明らかに違っていた左右の肩の高さは整い、
左右で倍ぐらい違っていた胸郭の厚みもそろってきました。
左にねじれていた体が、正面を向けるようになりました。
開き過ぎていたと言われた骨盤の幅も狭くなって、
O脚気味の脚も改善されていました。

目に見える結果が出て、満足感がありました。
でもお金も結構かかるし、どこかで区切りをつけようと、
ある日退会を申し出たところ、こう言われました。
「あなた、やめたら元に戻るわよ」

えっ……。
強くひきとめられつつも、そのサロンはやめましたが、
その時、最後に言われた言葉が私の中に大きな疑問を残しました。

一生あの努力を続けていないと、私の体は歪んでしまうのだろうか?
健康を維持するために、自分をそれなしではいられない状態に持っていくのは、
本当の意味で健全とは言わないのでは?

答えの出ないまま、今度は近所の均整院に通い始めました。
新聞の折り込みのチラシを見たことがきっかけでした。
そこには側わん症の人の施術前後の写真が載っていて、
その背中には、背骨の形の改善を示す補助線が描かれていました。

そこにも1年以上は通ったでしょうか。
「自分改造計画」を始めてから、4年ほどが過ぎていました。
以前に比べると、体がかなり変わってきているという自覚がありました。
そこで、どのくらい背骨がまっすぐになっているか確かめようと、
13年ぶりにレントゲンを撮ってみました。

その結果は衝撃的なものでした。
ちっとも良くなっていなかったのです。
というよりも、わん曲がさらに進んでいて、
21歳で54度だった角度は、34歳で63度になっていました。
以前、病院で言われた通り、1年に1度ずつ進行していたことになります。

見た目は明らかに良くなっているのに!
足元がストーンと抜けて、奈落に落ちたような感覚でした。

続きます。

頭は高いところにある

今日も“米寿のレッスン”シリーズ。

88歳のおばと、最近、歩きかたを探究するレッスンを始めました。
以前から、おばの歩き方が「すり足」になっているのが気になっていました。
転んでけがをしたこともあったので、歩き方は大事な課題です。
私はかねがね「足首がもっと動くと、歩きやすくなるのにな」と思っていました。

そこで、まずは歩くときに足首を動かすことを提案してみました。
…が、やってみると、なんだか違う。
確かに足首は動いているけど、からだ全体として見ると、しっくりこない。
頑張っている上に、さらに努力を加えたような動きになっています。
何より、椅子から立ち上がったときのような、あのしなやかさがないのです。

椅子から立ち上がった直後は、体が上に向かって伸びていってるし、
下を向きがちな頭も、ちゃんと高いところにあるのに。

そこで、ハタ!と思いつきました。
「歩く」という動きだけを取り出して練習するのではなく、
椅子から立ち上がった良い状態から歩く、という流れにしてはどうだろう。

というわけで、おばに椅子から立ち上がってもらい、
さて歩き出そうとしたその瞬間、ある傾向が見えました。
首を前(進もうとする方向)に突き出してしまうのです。
しかし、その頭の方向性は脊椎との関係で言うと「前」ではなく、
「下向き」に押し下げていることになります。

「おばさん、頭はね、立ちあがったときだけじゃなくて、
歩いているときも、ずっと高いところにあるんだよ」

「頭は高いところにある」を思い続けられるように、
私はおばの頭に軽く手を添えました。
そして、そのまま何歩か歩いてもらいました。

「あら~、頭が高いところにあると、足が自然に上がっちゃうわねえ。
さっきまでは、頑張って足を持ち上げようとしてたんだけど」

そう、そう、そう!
頭と脊椎の関係性を整えると、正しいことが勝手に起こるのです。
さっき無理に動かそうとしていた足首がちゃんと動いているだけでなく、
腕の振りも自然に起きています。

「頭が高いところにある」という表現は、
その時の体験とともに、おばの運動神経に刻み込まれたようで、
その後は私が手を添えなくても、とっても素敵に歩いていました。

このことは、私にとっても原点に帰るような体験となりました。
最初は性急に、起こってほしい結果にアプローチしていたので、
うまくいかなかったのです。
あらためて、動きの中で何が起きているか、
そのプロセスを丁寧に見ていくことが大切なのですね。

米寿のレッスン2

前回の記事で書いた米寿のおばと、
「椅子から楽に立ち上がる」ためのレッスンをしてから1ヶ月。
先日様子を見に行くと、背中の痛みもだんだんなくなってきたそうで、
一人で電車に乗って外出できるようになっていました。

「あんたには本当にいいこと教えてもらったわ」と言います。
なんでも、この頃は体のどこかに痛みを感じると、
一度椅子に座って、教えてもらった「立ち上がる」動きをすると、
体がスッキリして、痛みが消えるのだそうです。
お〜、チェアワークにそんな使い方があるなんて。

実際に椅子から立ち上がるところを見せてもらったところ、
もう本当に上手でびっくりしました。
年齢とともに丸くなってしまった背中の形自体は変わりはしないけど、
それまであった下向きに入れていた力みが抜けていて、
上に向かって解放されていくような、しなやかさが見えました。
良い姿勢というのは、単にまっすぐな形のことではないのだと、
おばは私に示してくれました。

では、私がおばに何回レッスンをしたかというと、たぶん3回ぐらい。
あとはおばが一人で何度も何度も練習をしたのだと思います。

最近は「歩く」レッスンを始めました。
見ていると、“こうすると膝が痛くなる、逆にこうすると痛くない” など、
私が教えた知識に頼りきらず、自分の体に聞きながら動いている様子。
ああ、だから上達が早いんだなあと納得。

そんなおばを見ていると、
「年のせいであちこちが痛い人」から、
「痛くない動きを自分で選べる人」へと、
アイデンティティが変わってしまったように見えます。

「あんたの教え方が上手だからじゃない?」って言ってくれたけど、
いえいえ、むしろ私が教わることばかりです。
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