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Author:hikari
東京・吉祥寺の「アレクサンダー・テクニーク教室FUN」で教えています。
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ブログでは、からだとこころにまつわる日々の気づきなどを綴っていきます。

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頭は高いところにある

今日も“米寿のレッスン”シリーズ。

88歳のおばと、最近、歩きかたを探究するレッスンを始めました。
以前から、おばの歩き方が「すり足」になっているのが気になっていました。
転んでけがをしたこともあったので、歩き方は大事な課題です。
私はかねがね「足首がもっと動くと、歩きやすくなるのにな」と思っていました。

そこで、まずは歩くときに足首を動かすことを提案してみました。
…が、やってみると、なんだか違う。
確かに足首は動いているけど、からだ全体として見ると、しっくりこない。
頑張っている上に、さらに努力を加えたような動きになっています。
何より、椅子から立ち上がったときのような、あのしなやかさがないのです。

椅子から立ち上がった直後は、体が上に向かって伸びていってるし、
下を向きがちな頭も、ちゃんと高いところにあるのに。

そこで、ハタ!と思いつきました。
「歩く」という動きだけを取り出して練習するのではなく、
椅子から立ち上がった良い状態から歩く、という流れにしてはどうだろう。

というわけで、おばに椅子から立ち上がってもらい、
さて歩き出そうとしたその瞬間、ある傾向が見えました。
首を前(進もうとする方向)に突き出してしまうのです。
しかし、その頭の方向性は脊椎との関係で言うと「前」ではなく、
「下向き」に押し下げていることになります。

「おばさん、頭はね、立ちあがったときだけじゃなくて、
歩いているときも、ずっと高いところにあるんだよ」

「頭は高いところにある」を思い続けられるように、
私はおばの頭に軽く手を添えました。
そして、そのまま何歩か歩いてもらいました。

「あら~、頭が高いところにあると、足が自然に上がっちゃうわねえ。
さっきまでは、頑張って足を持ち上げようとしてたんだけど」

そう、そう、そう!
頭と脊椎の関係性を整えると、正しいことが勝手に起こるのです。
さっき無理に動かそうとしていた足首がちゃんと動いているだけでなく、
腕の振りも自然に起きています。

「頭が高いところにある」という表現は、
その時の体験とともに、おばの運動神経に刻み込まれたようで、
その後は私が手を添えなくても、とっても素敵に歩いていました。

このことは、私にとっても原点に帰るような体験となりました。
最初は性急に、起こってほしい結果にアプローチしていたので、
うまくいかなかったのです。
あらためて、動きの中で何が起きているか、
そのプロセスを丁寧に見ていくことが大切なのですね。

米寿のレッスン2

前回の記事で書いた米寿のおばと、
「椅子から楽に立ち上がる」ためのレッスンをしてから1ヶ月。
先日様子を見に行くと、背中の痛みもだんだんなくなってきたそうで、
一人で電車に乗って外出できるようになっていました。

「あんたには本当にいいこと教えてもらったわ」と言います。
なんでも、この頃は体のどこかに痛みを感じると、
一度椅子に座って、教えてもらった「立ち上がる」動きをすると、
体がスッキリして、痛みが消えるのだそうです。
お〜、チェアワークにそんな使い方があるなんて。

実際に椅子から立ち上がるところを見せてもらったところ、
もう本当に上手でびっくりしました。
年齢とともに丸くなってしまった背中の形自体は変わりはしないけど、
それまであった下向きに入れていた力みが抜けていて、
上に向かって解放されていくような、しなやかさが見えました。
良い姿勢というのは、単にまっすぐな形のことではないのだと、
おばは私に示してくれました。

では、私がおばに何回レッスンをしたかというと、たぶん3回ぐらい。
あとはおばが一人で何度も何度も練習をしたのだと思います。

最近は「歩く」レッスンを始めました。
見ていると、“こうすると膝が痛くなる、逆にこうすると痛くない” など、
私が教えた知識に頼りきらず、自分の体に聞きながら動いている様子。
ああ、だから上達が早いんだなあと納得。

そんなおばを見ていると、
「年のせいであちこちが痛い人」から、
「痛くない動きを自分で選べる人」へと、
アイデンティティが変わってしまったように見えます。

「あんたの教え方が上手だからじゃない?」って言ってくれたけど、
いえいえ、むしろ私が教わることばかりです。

米寿のレッスン

前回の更新から1ヶ月近くが過ぎてしまいました。
今日はちょっと違う話題です。

最近、私のおばが背中を痛めてしまいました。
おばは今月米寿を迎えます。
背中がだいぶ丸くなっているので、
骨に負担がかかっているだろうと思っていましたが、
病院に行ったら、脊椎の圧迫骨折だとのことでした。
最初の2週間ほどは痛くて動けないという状態だったので、
近くに住む私が身の回りのお世話や痛みのケアなどをしていました。

特に椅子から立ち上がるときに、背中が痛むようだったので、
私はアレクサンダー教師として、その動きのお手伝いをしてみました。

本人はとにかく動くと痛いものだから、
「動きのレッスン」と言われても、最初は全然乗り気ではなかったのですが、
私は「ちょっとだまされたと思ってやってみて」と言って、
痛みがおきないであろう方向へと手を使って誘導しながら、
椅子から立ち上がってもらいました。

すると。
「あら・・・? 痛くない」
首をかしげながら、そのまま少し歩いて、
もう一度、「どこも痛くない・・・」とつぶやきます。
そして神妙な面持ちで「もう一度やってみる」と言って、再び椅子に座ったので、
私は「しめしめ」と思いながら、もう一度動きの方向を誘導します。
「あら・・・? やっぱり痛くない・・・」

私が誘導した「痛みが起きないであろう方向」とは、「前へ、上へ」ということ。
おばは立ち上がろうとするときに、
上体を後ろに引いて腰で体を支えようとするクセがあり、
それが背中の痛みにつながっていると思ったので、
本人が思っているよりも「前で」バランスをとることを体験してもらったのでした。

この体験はとてもおばの気に入ったようで、
それから熱心に練習を重ね、
今では椅子から立ち上がるのがすっかり上手になりました。
私が行くと「見ててちょうだい」と言って立ち上がってみせて、
そのあと、「あ~気持ちいい」というのです。

最初の「痛くない」という感想も嬉しかったけど、
「気持ちいい」という言葉が出てきたことは、もっと嬉しかったです。

最初は苦痛だった「立ち上がること」が喜びになったこともすごいと思うし、
動きが気持ちよく感じられるということは、
自身がもっている生命力を感じている、しるしでもあると思うから。

歩くなどのほかの動きではまだ痛みが出るので、
これからレッスンを重ねて、もっと自由に動けるようになってほしいな。

おばさん、これからもずっと元気でいてね。

脊椎側わんの話(3)

自分の体に問題が起きていると知りながら、
すぐさま命に関わるような切迫したものではなかったので、
積極的に解決するでもなく、そのまま毎日を過ごしていました。

もともと体力に自信があるほうではなかったけど、
それなりに自分は健康だと思っていたので、
体に気を使うこともなく、今思えばかなり無茶な生活もしていました。

そんな私に転機が訪れたのは、30代を迎えた頃。
ある日、ビデオで撮影された自分自身の姿を見る機会があり、
そのとき、本当に、本当に、衝撃を受けました。

顔の表情、体の動き、発している声、全体のたたずまい・・・
ビデオに映る“その人”が、どうしてそのようなあり方になっているのか。
その理由は、自分自身が一番よく知っていました。

現実がどうしようもないくらい客観的に見えてしまうと、
もはや後悔とか、恥ずかしさといった後ろ向きの気持ちは起こらないもので、
私は一瞬で自分がするべきことを悟りました。

――私は体を治そう。ちゃんと問題に向き合おう。

その頃には、無茶な生活がたたって体を壊してもいました。
そこから一転、自分の体をほとんど省みない生活から、
体に良さそうなことは何でも試してみるという、
健康オタクの日々が始まりました。

現実から目をそむけていた状況から、ようやく一歩踏み出したとは言え、
それまでの反動から起こした行動は、結局行き詰ってしまうのですが・・・

なかなか本題のアレクサンダーテクニークにたどり着きませんが、
それまでの経緯を振り返る作業に、もうすこしお付き合いください。
次回に続きます。

脊椎側わんの話(2)

それから高校生になり、1年間の浪人生活を経て大学生になりました。
その頃の私は健康上は特に大きな問題はなく、
勉強、サークル、アルバイトに海外旅行と、
多くの友達に囲まれて、元気に忙しい毎日を過ごしていました。

また、大人になるにつれて体とともに心も成長するもので、
中学生の時にはあんなに気にしていた背の高さも、
その頃にはほとんど気にならなくなっていました。
ただ、「側わん症」であるということは、
意識の底で大きなコンプレックスとなっていました。

本来、左右均等の厚みがあるはずの胸郭が変形しているので、
後ろから見ると背中の右側が盛り上がった形になります。
そんな背中の出っ張りを隠すために、なるべく体の線が目立つ服は避け、
右側の肩甲骨が出っ張らないようにと、いつも肩を後ろに引いていました。

当時の私は自分を欠陥品だと思っていたし、
こうなったのは身長が高いのを気にして猫背になっていたからだ思って、
自分を責めていました。

そして、大学3年生の時。
健康診断の後、学内の健康管理センターというところから呼び出しがあり、
私は初めて自分の背骨のレントゲン写真を見ました。
そこには私の想像をはるかに超えて変形した背骨があったのでした。

まさか、ここまで曲がっているとは。
だから、中学の保健の先生はあんなにしつこく私に言っていたのだ。
目の前に現実を突き付けられて、
とても大変なことが自分の体に起きているのだと、
今更ながら認めないわけにはいきませんでした。

その後、大学で紹介された病院に行き、整形外科で専門医の診察を受けました。
その時の私は21歳、背骨の角度は54度。
脊椎のカーブは、ここで止まる可能性もあれば、進行する可能性もある。
ちょうどグレイゾーンにいるのだと説明を受けました。
そして、

「どうしてこんなになるまで放っておいたんだ!」
その医師は、大きな声で言いました。

それは医師としての愛情から思わず出てしまった強い態度だったと、
今では理解しています。
しかし、自分の体の「欠陥」にショックを受けていたところに、
さらにそれを放っておいたことを責められて、
当時の私はまるで往復ビンタをくらったように感じられました。

もしも中学生だったあのとき、素直に先生の言うことを聞いていたら、
コルセットで進行を止められたかもしれないのに。
取り返しのつかないことをしてしまった後悔、
怒鳴られたことの恐怖と恥ずかしさ、
そして自分自身への怒りの感情に圧倒され、
目を真っ赤に泣きはらして診察室を出ました。

後日、親を交えて話し合いが行われましたが、
昔堅気の私の父が強硬に反対したため手術には至らず、
年に一度必ず経過観察をするということになりました。

しかし、私はその約束を守りませんでした。
当時を振り返ると、怒られたことがやはり大きかったように思います。
だからといって、そんな大事なことを放っておくなんて・・・と、
今なら客観的に考えられます。

振り返ると、私には子供の頃から自分を責めるクセがあって、
問題と自分を分けて考えることができなかったのだと思います。
だから問題が起きたときに、解決するとか立ち向かうという発想に向かわなかった。
また、見た目が気になる以外には痛みもなく、
普通にしている分には生活に支障がなかったことも理由のひとつです。
もっと単純に言うと、どうしていいか分からなくて固まっていたんだと思います。

そうして月日が過ぎていき、
私が再びその医師の診察を受けたのは、それから13年後のことでした。

続きます。
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